(1994年11月発行「風雲去来人馬」より)
生コン近代化委員会の発足/76年9月 | |
「生コン近代化六項目」(通産省、76年2月)発表をうけて、同年9月、生コン近代化委員会が発足した。構成は全生工組連が主体となってセメント協会、全生協連が協力し、通産省がオブザーバーとして関与するというものである。 |
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金と人によるセメントの生コン業界支配 | |
77年の年頭挨拶で大槻セメント協会会長は次のように発言した。第一に前年暮れに発足した福田政権の「公共製作第一主義で臨む」という方針を大歓迎し、セメント業界の見通しも明るくなるだろうという展望である。第二に業界立て直しの為には、「各社の生コン会社再建が大事である。この面で各社連携して生コン再建に十分つくして頂きたい」(セメント新聞、77年1月7日)というものである。 |
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政策パンフ第二号の発表/78年4月 | |
生コンの構造改善事業はその鳴り物入りの「近代化」のかけ声にもかかわらず、この事業は一口でいって、セメントメーカーの主導による過剰設備の共同廃棄・合理化を推進するものであった。またそれは、労働者の側からいえば雇用保障問題は緊急の課題であった。 生コン支部にとっても、これまでにも集交参加企業との間で締結された雇用保障協定や政策10項目要求の推進(本章第4節、製作パンフ一号)や組織拡大、共闘の前進などを基礎としてより一層の雇用保障、労働条件の発展は急務であった。78年4月にはこうした政策課題のとりくみの総括、到達点の確認をふまえて「新たな前進めざして」と題する政策パンフ第二号が発表された。 同パンフでは生コンを「セメントをより積極化した商品」であると定義して、4点にわたって分析した。(一)有効販売手段して、(二)流通合理化の手段として、(三)拡販手段(販売シェアー拡大の草刈場)として、(四)価格形成手段としての4点から分析し、セメントによって生コン業が系列化され、従属させられている点を明らかにした。そして大阪兵庫工組が進めようとしている構造改善事業が基準においている数値(出荷高、生産性等)なるものが、実は低賃金長時間労働そのものであった1973年度のものである事を暴いている。要するに構改の行きつく先は、あの劣悪な労働条件の下へ労働者を投げ込もうというものだと指摘している。 このような構改=近代化の問題点を指摘した上で、「雇用拡大を実現する為の数量的接近の試み」を行って、セメント値上げが生コン経営へもたらす致命的な打撃、また過積の規制・労働条件の統一による雇用機会の拡大、安定を明らかにしている。「政策とは要求の積極化であり、要求実現の為の道筋と段取を明らかにしたものである」というのが生コン支部の政策についての定義である。先の分析が結論づけるように、雇用機会の拡大・安定は実現可能である。実現に至道筋は何よりも、(一)企業間競争の廃止と協組機能充実による業界の自立と安定、(二)労使懇談の組織化による要求の正当性・重要性の確信と共闘条件づくり等である。 また同パンフ第二号の広汎には当時のダンプ労働者への組織化の進展(次項参照)を反映して「ダンプ業者・労働者の社会的地位の向上をめざして」という一項が加わり、支部の政策活動が広く他業種にも波及していることを示している。 |
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組合推薦のダンプ出入り保障協定の締結/78春闘 | |
78春闘では、第一に賃上げで実質アップが製造17,735円(11.2%)、輸送14,545円(7.81%)となり、共に消費者物価上昇率6%を上まわる賃上げを実現した。特に前年にひきつづいての製造部門での大幅アップは、これまで製造と輸送のと間で格差があり、その事が生コン労働者全体の賃金抑制の重しとなっていた事を打ち破るものだった。第二に雇用確保と保障に関する事前協議3項目の確認、時間外賃金の3割アップ、ダンプ協定、生活最低保障45時間協定の延長等、資本の合理化に歯ドメをかけ、従来の労働条件の確保・向上を勝ちとった。 |
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政策闘争の3つの成果 | |
77年から79年にかけての生コン支部の政策要求の推進は大きな成果をあげた。 |
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産別統一賃金・労働条件の確立/78~79年 | |
77年秋の賃金・労働条件の統一は産別統一賃金の形成という質的転換をもたらした。所属する組合の相違を反映しての賃金格差を是正し、資本の側からの各個撃破による差別分断支配を打ち破り、組合への信頼と結集度を飛躍的に高めた。 |
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政策課題での労組間共闘の発展/78~79年 | |
賃金の統一ばかりでなく、労働条件の統一についても、他労組との共同行動を推進した。この時期から上部団体も異なり、理念も路線も違う田労組との共闘が進み、生コン支部と同盟との間での政策課題での共同の取り組みも徐々に実現し拡大していった。輸送協議会(経営者団体)と、同盟交通労連生コン部会との三者構成で、過積追放推進委員会が設立された(77年11月19日)。 |
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工組が交渉当事者として「雇用第一義」を確認 | |
労働組合の側における要求・交渉・共同行動が統一されて行く推移に対し、経営側はどのように統一されていったであろうか。 既に77年から生コン支部と同盟との間での意見交換が始まり、製造の業者団体である阪生会との懇談も開始していた。78年3月には、阪生会から構改事業に伴う雇用協定について、工組も話し合いの意志があるという提案がなされた。こうして78年7月14日、工組と生コン支部との間で第1回の交渉が実現した。 当時、大阪兵庫工組は構造不況業種の適用をうけて近代化促進法の指定による構造改善事業を実施(80年開始、84年終了)に移そうとしていた。その内容は、(一)新増設抑制と共同廃棄、(二)117工場中13工場廃棄等である。 13工場の廃棄が中心である以上、工業組合としても雇用保障を求める生コン支部との交渉をもたざるを得ない。こういう工組の側の事情から労組と工組の交渉が始まった。 数度の交渉の末、78年9月11日にはついに工組との間で、画期的な雇用保障協定が締結された。(一)構改事業の申請にあたり、工組は「労働者の雇用不安を払拭するため、雇用確保を第一義とし、万全の措置を講ずる」事を確認した。(二)「その履行に当たっては、全面的に責任を負うものとする」として工組の責任も明確化した。 この協定の意義は画期的なものである。ただやみくもに「廃棄反対」を叫ぶのではない。近促法の計画内容の第3点「従業員の福祉向上、消費者の利益増進、環境保全、その他」という項目を捉えて、その履行を工組に約束させた事が第一点である。「雇用確保第一義」を確認する事で、中小企業の業界秩序を混乱させ経営不安定に導く「新増設抑制」を労使共通の要求として実現できるのだ。これが第二点である。 第三に工組が雇用保障の責任を負うという事の中身である。大阪兵庫工組はその参加に12分会、127社、156工場を組織している。ところでこの12分会というのは各地区の協同組合であり、工組と協組とは法人格上では独立していても、実質上「工組の分会としての協組」という一体的な組織である。その工組が「全面的に協力する」というのだから、当然その協定の効力は業界全体へ及び組合が存在しない企業をも拘束する従来の集交参加企業数と比べて、その規模ははるかに大きい。 何よりも大阪兵庫工組は、このすぐ後に中小企業近代化等助成法(略・助成法)による事業計画の申請を控えていた。それに先だって工組としては「雇用不安を払拭する」必要があったし、労働組合としては工組として連帯雇用保障の明確化がない限り、構改計画に対するどのような協力もできない。工組が「雇用確保に・・・・万全の措置」を約束したのが、この協定化を待って、10月に通産大臣宛に事業計画が申請された。 工組との間で構改事業に伴う「従業員の福祉向上」に関しての協議が進む中で、だんだんと広く労働条件、福祉要求全般について議題が広がり、工組の側も業界全体を代表した交渉当事者としての役割を果たすようになってきた。 労働組合の側でも、生コン関係労組間の共同歩調が、定着しつつあった。 79年4月からの生コン支部・同盟との間の懇談の定例化、次いで6月のの全港湾も加えた3労組との間の協定等が重ねられていった(前項参照)。 7月には3労組と業者団体(工組、輸送協、阪生会)とで「生コン産業の近代化を進める会」が結成された。同会は発足後、主な活動として排ガス公害、交通事故の原因の一つたる過積載の追放運動を継続した。そして79年から80年にかけて、神戸苅藻島工場新増設抑制の運動を実現した(第6節参照)。 |
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第6節 集団的労使関係の確立と32項目協定の確認 1970年~1982年夏 | |
80専業集交に工組も参加 | |
79年12月10日、「生コン産業の近代化を進める会」の主催で業者団体、生コン労協の労使2,500名が中央公会堂に集まった。集会は「構改実施にあたり雇用の安定を第一義とする」事を共通したスローガンに掲げ、生コン労協傘下3労組はもとより行政からは大阪通産局が、そして業界よりは大阪兵庫生コン工組、阪生会、輸送協、大阪地区協組の代表が一堂に会した。 同集会は生コン産業近代化のための労使共同の活動について次のように決議した。(一)苅藻島での生コン工場新設、近畿地方での生コン新設に反対する。(二)ゼネコン、セメントメーカーとの対等取引関係の確立。(三)工組と協組の責任で共同施設の建設。(四)中小企業の権益を守り、労働者の雇用確保と労働条件の地位向上、等である。 集会の成功をふまえて生コン労協と大阪兵庫工組との間でより緊密な協議が進んだ。80年2月には両者の話し合いの席上で「今後の労務問題に関して交渉権をもつ」と確約がなされ、この時点より実質上、団体交渉としての性格が強まってくる。 この80春闘は集交参加企業の広がりにおいてもひとつの画期となった。この年生コン専業社15社の参加による専業集交が実現したからである。専業社というのは生コン製造部門の内で、オーナーが自社株を50%以上取得している企業であり、直系とは異なりセメント支配から相対的に独立している。その意味では組合との間で共通の要求が成立しうる位置にある。 そして画期的であるというのは、この専業集交に工組代表がオブザーバーとして参加した事である。席上、業者代表はこの専業集交が工組労務部会としての必要性にもとづいて開催された事を表明した。 この春闘では日経連大槻会長の影響の強いセメントの親会社が11,200円というガイドラインを打ちだしている中で、集交で18,000円の賃上げを獲得した。また生コン企業の経営を危うくするセメント価格の値上げを労使一致して阻止し、生コン価格、輸送価格について社会的に認知させる為のいくつかの要求も出された。中小企業の経営状態を安定させる事が、そこで働く人の労働条件の向上につながるのであり、制度要求と賃金を結合させて闘った事が回答を引き出した要因となった。 |
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工組が年間休日の統一協定を締結 | |
80年6月の夏季闘争では、大阪兵庫工組は単なる交渉参加から一歩進んで、夏季休暇を統一する協定を労組との間で締結した。年間休日を104日間とし、盆休日を8月14日から20日までとするという確認である。生コン業者にとって休日の統一は切実であった。背景にセメント系列毎の拡販競争があり、生コン業もまた売らんが為の競争に駆り立てられており、他社の休んでいる間に販路を拡張せんと必死である。それがまた生コン労働者の労働条件を低下させる。 年間休日、盆休日の統一協定の締結は、この蟻地獄のような拡販戦を防止する切り札である。工組が協定締結の当事者になるという事は、その効力が16協組、263社・291工場、約7000名の労働者に適用されるという事である。もちろん、組合の存在しない未組織の企業に対しても効力が及ぶ。 この協定に対し9社が、盆休み中に抜けがけ的に営業し、市場を混乱させたが、各地区協組は業界秩序を混乱させた違反企業への処分(一定期間操業停止、ペナルティー)を行って、協定の遵守と履行の責任を果たした。だが阪南協加盟6社の違反に対する協組の対応が弱く、支部を中心に他労組も参加する「近代化を進める会」の抗議行動が展開され9月に解決した。その直後、大阪府警による捜査・逮捕攻撃をうけ、後の一連の権力弾圧の前触れとなった。これがいわゆる「阪南協事件」である(第3章第9節参照)。 |
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独占の投資計画を規制=神戸・苅藻島工場 | |
全国各地で近代化計画にもとづく構改事業が実施に移されようとした1979年、全生工組連地区本部会議で全くウラハラな報告がなされた。全国での生コン工場の新増設が120工場に達しており、構改計画が目標としている廃棄工場171工場に匹敵するという。体のいいスクラップアンドビルドだ。老朽化し不要となった設備の廃棄(スクラップ)にあたっては、低金利の政府系資金の利用等大幅な優遇措置をうけながら、その蔭で新鋭設備の導入(ビルド)によって自社系列のセメントを売りまくる。構改をかくれ蓑にしたセメントの旺盛な商魂だ。 さすがに通産省も放ってはおけず、翌80年6月「生コン工場の新増設の抑制」を核通産局を通して各都道府県に要請した。 過剰設備で生コン工場の操業率は30%にまで落ち込み、需要バランスが崩壊し、ひいては中小企業の経営を圧迫する。その事が労働条件を押さえ込んでいく。そのような時にセメントメーカーが無計画な投資計画を組んで更に混乱に拍車をかける。 労働組合としてはこの工場の無計画な投資計画を規制する必要に迫られてくる。新増設の場合は、事前に業者及び労組の同意がなければ一切行ってはならないという事を全面に押しだしていくようになる。 これに対しセメントメーカーは、「投資計画の規制というのは、資本主義の経済法則そのものを規制するものである。到底同意できない」という態度をとりつづけた。生コン支部はもとより、全港湾や同盟・交通労連、そしてこの頃には全化同盟も加わっていたが、一緒になってそのような投資計画を規制する運動を展開した。 そのような状況の中で、代表的な闘争としては79年から80年にかけて行われた神戸の苅藻島工場の闘争がある。それは、住友セメントが10億円もの巨額を投資して完成したプラントを完全に閉鎖に追いこんでいったものであった。 |
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製品コストへの関与権確立-神戸地区労組 | |
この時期に労組(生コン労協)と業界(工組他)との間重要な共通課題のひとつにセメント価格の問題があった。 |
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工組が「労組法場の交渉当事者」に/81年 | |
81闘争の大きな特徴、画期的な成果は、生コン業界を網羅する大阪兵庫生コン工組が、経営者側を代表する交渉主体になったことである。 それは関西生コン産業経営者連盟(従来の39社集交を指導してきた機関)が、3月3日に臨時総会を開催して決定した。決議の内容は「従来の労働協約の継続審議事項や81春闘要求等の交渉権を全て大阪兵庫生コン工業組合に委任する」というものである。 この経営側の決定をうけて、生コン支部は全港湾、同盟交通労連、そして全化同盟(監視亜の生コン関係では約300人)との間で調整に入った。支部の方針は、(一)交渉権が労使法にもとづくところの労使関係である事を明確にする事、(二)協定締結能力をもち、合意事項については未組織企業をも拘束する事、(三)民主的ルールの確立の3点である。 |
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関西生コン産業政策委員会を設立 | |
経営側の一本化に対応して、労働側の一本化が急がれた。全化同盟だけは「事が急すぎる」「内容的に若干の問題がある」と理由を作り、調整作業からおりてしまった。本音は組合運動の理念・路線の異なる組合との共闘を拒否したいという考えである。 他の2労組との共闘は、従来から共に生コン労協で実績を積み重ねており、80春闘評価での未調整や全港湾との組織問題等で、労協自体が凍結状態となっていた為、その共闘関係の修復は急務であった。 結局3労組の間で統一対応をとる事になり、3月15日間sだい生コン産業政策委員会が結成され、事実上の交渉・行政機能を持つようになった。共同交渉団の構成は団長が同盟、副団長が全港湾、事務局長が運輸一般(生コン支部)であり、81春闘交渉に臨む事になった。交渉人員は生コン支部35人、同盟35人、全港湾17人である。3月末以降の第2回交渉から共同のテーブルにつく事を確認した。 |
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全企業が操業停止、ゼネスト実現 | |
共同交渉の開始にあたり、3月12日工組との間で協定が交わされた。(一)工組との団交は労組法に基づく交渉権の行使である。(二)合意事項は労働協約としての効力を持ち、工組加入企業、生コン輸送業、関係労働者に適用される。(三)交渉事項は雇用・労働諸条件・福祉・合理化など工組及び労組より申入れた全ての議題とする。(四)労組の共通課題は共同交渉が原則であり個別交渉はしない。(五)従来関係使用者との間で確認されてきた事項の履行確保についても、工組が責任を負うことになった。 更に産業政策委員会から外れて個別交渉をすることになった全化同盟についても、工組は他の組と統一対応をする事も確認された。 3月27日初の共同交渉は、工組百数十社、政策委(労組)70数名参加で開かれた。4月6日に残業拒否・合同決起集会に2200名が参加した。3労組の一元的指導による大衆行動が発展し、大阪兵庫の生コン産業の始まって以来のゼネストが4月8日、13日と成功した。両日は未組織企業もストに連動して一斉に操業がストップした。13日以降は無期限スト態勢に入り、14日には支部独自で滋賀県交通支援集会を開き1500名が参加した。 4月15日の共同交渉で最終的に解決したが、賃上げは手当込みで18,700円、8%を突破する。第二に工組による連帯雇用保障、雇用福祉基金の確立、定年延長、退職金制度確立、産別最賃10万円の確立等、政策制度要求が大きく前進した。 |
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集団的労使関係の形成/81年夏 | |
この81春闘の諸成果の中でもとりわけ大きな点は、工組が連帯して雇用責任を負う事を確認した事である。また雇用安定、福祉増進をはかるために工組加盟企業で100億円の基金を確立する事が合意された。この基金は失職者の一定期間の生活保障、高齢者の雇用創出のための諸施設の建設、産業年金制度、厚生福祉設備等の諸事業を行うためのものである。 そしてこの100億円基金をどう運営し、今後の雇用福祉についてどのように具体化していくのか等について、労使同数の各種委員会が設置された。6月には5つの専門委員会が機能し始めた。 ①雇用対策委員会、②雇用福祉委員会、③賃金労働条件委員会、④安全衛生委員会、⑤紛争処理委員会の5つである。 また工業組合の中に労使双方からなる事務局をおき、3労組の代表を専従者として置き、その費用は工組が負担する。そこで今後の政策課題について労使共同で検討・協議していく。 3労組の共闘の前進による多大な成果の獲得は、多労組へも影響を及ぼし、全化同盟の加盟(7月24日)、さらに企業内組合(タイコー千里)の参加も実現した。 他方、工業組合も法律等の制約を除去し、そして工組加入資格をもたない輸送専業企業をも加えるという2つの目的から、新組織を発足させた。8月1日から事業を開始した、大阪兵庫生コン関連事業者団体連合会である。同連合会は産業、企業の発展工場と、近代的労使関係の推進をうたい、労働組合との団体交渉・労働協約締結をその事業に掲げた。 こうして大阪、兵庫の生コン製造および輸送企業全体を包含した集団的労使関係が名実共に形成された。労働組合が企業枠を越えて、業種別のみならず広く産業全体を視野に入れて活動するようになった。 |
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集団交渉の広がりと「32項目」の確認/82年夏 | |
大阪兵庫工組は、前年9月に構改計画にもとづく初の事業として組合会館を完成させ、活発に動いていたが、81年には兵庫県竹野町に保養所(6月/3億5000万円)、六甲山に技研センター(10月/10億円)を相次いで完成させた。また9月には京都生コン工業組合と政策委員会の間で、7項目の協定が締結された。11月には生コン団体連合会、工組、政策委員会の3団体の共催で「労使共同セミナー」が開かれた。セミナーには大阪通産局岡本生活物資課課長も参加し、「生コン産業の現状と構造改善事業について」と題して講演を行った(11月19~20日)。 |
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支部組織拡大・主体的力量の強化 | |
81年から82年にかけての数々の成果は共通の政策要求にもとづく集団的労使関係づくりによってもたらされた。交渉主体が大阪兵庫生コン工業組合(業者団体)を一方に、他方に生コン産業の主要な4つの労働組合の共闘組織という形になったからである。 特に労組の側は大兵工組加入195工場の内、労組の組織率は関生支部が99工場50.8%、同盟交通労連51工場26.2%、全化同盟27工場13.8%、全港湾12工場6.2%に達している(82年末)。 生コン産業に従事する全構成員を代表する労使ともに産業別交渉機能を確立した集団的労使関係を形づくったのである。 その原動力は何といっても関生支部の組織拡大・主体的力量の強化に支えられている。大兵工組全体の半数に支部組織を確立し、各地区協組別にみると北大阪で82%、大阪、神戸、北神でも50%を越し、工組・協組の業界動向を左右する要因になっている事がわかる。なお従業員数との比率でみると北神(147名中82名)55.8%、神戸(584命中244名)45%、北大阪(1230命中480名)39%と、この地区の比率が高い。 大阪兵庫工組傘下の主要な工組に占める関生支部の組織率の高さ、それを牽引力とした各労組間の共闘の成立(政策委員会)が工組や協組の業界動向を左右する程の力をもった事が政策闘争を前進させたといえる。 |
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51社との間でユニオンショップ協定 | |
集団的労使関係の構築にあたり労働者の側の条件整備を可能にしたのが4労組間の共闘である。それぞれの労組は理念も路線も異なれば上部団体(ナショナルセンター、産別労組)の所属も違っていたが、様々な困難を乗り越えて共通する要求の一致にもとづいて共闘をつくりあげてきた。関西生コン産業政策委員会の結成(1981年春闘)に至る経過の中でその一端をみてきた。 要求の一致を軸に労働者を統一しようとするならば、それは一企業一組合が相応しいに決まっているがその第一歩として実現されたのが一業種を対象としたクローズドショップ制(組合推薦労働者の完全雇用制)の追求である。 もっとも日本のような企業別組合が大半という現状の下では、それは労使癒着型の労働者への支配装置に点火する怖れが往々にしてみられる。関生支部のこれまでの数々の経験-優先雇用協定(76年)、工組の連帯雇用責任(78年)等の確認は、労働組合の統制の下に雇用確保を可能にしてきた。 その試みを一歩前進させたのがユニオンショップ協定の締結である。1979年11月生コン労協と51社の間に協定されたものである。その内容は、企業内に一労組しか存在しない場合にはその労組とユ・シ協定を締結し、すでに複数組合が存在する場合にはそれ以上新しい組織をつくらせないようにするというものである。 この協定は将来的に未組織労働者をなくす事を展望して、現状では労組間、労使間に無用の混乱を生じさせず、むしろ労組間の統一対応を質的に向上させようとするものである。そして問題が生じた場合は、生コン労協内での組織問題調整によって解決をはかるとされている。 |
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トレードによる組合一本化へ | |
このユニオンショップ制を一歩進めて一企業あるいは一工場に一つの労働組合という在り方が要求統一にとって望ましいという立場から、トレード制度が考案された。丁度プロ野球での「トレード」を想定すればよいが、一つの企業内に複数の組合があって他の企業または工場にも同様に複数組合が存在するというケースの時、両企業・工場間で相互に組合員を交換し移動させるという制度である。 |
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第2章 第7節 セメント独占・国家権力・日本共産党による大弾圧と集団的労使関係の破壊 1982年夏~1984年 に続く |
全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部
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