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弾圧の本質は、中小企業と労働者が団結し、大資本・ゼネコンとの対等な取引条件などを推進してきた産業政策運動に対する資本・権力の国家的弾圧といえる。ここでは、連帯ユニオン関西地区生コン支部が30年以上取り組んできた産業政策運動について資料を掲載している。 |
「生コン労組はなぜ弾圧されたのか」 |
月刊『世界』2月号(岩波書店)誌上で、ジャーナリストの安田浩一氏が、関西地区生コン支部に対する一連の権力弾圧事件と生コン業界の動きをテーマに書き下ろしている。 安田氏は、ルポ「生コン労組はなぜ弾圧されたか−連帯労組執行部逮捕事件」をタイトルに、中小企業運動に対する刑事弾圧の不当性と1年にも及ぶ武委員長らの異常な長期勾留の実態を告発。弾圧「事件」を紐解くカギは、「協同組合の組織化−つまり中小企業の団結にこそ隠されている」と指摘している。 05年1月13日、「威力業務妨害・強要未遂」容疑で武委員長らが逮捕されて既に1年を経過。最近まで、6人の連帯労組役員が同公訴事実で長期勾留を強いられ、武委員長以外の役員は昨年12月15日にようやく保釈されたが、相前後する形で新たに2名が逮捕された。今回の「事件」の異常性が最も顕著に現れたのは、逮捕時におけるマスコミ報道のハシャギぶりだった。だが、業界内部でも「なぜ刑事事件に問われるのか」と逮捕を疑問視する声が高まっている。取材に応じたある生コン業者は、「逮捕劇から1年が経って、“仕掛け”の中身が見えてきた。単なる労組潰しではなく、本当に狙われているのは、生コン業界の中小零細業者だと思う」と語った。 生コン業界はゼネコンから生コンを買い叩かれ、一方でセメントメーカーの支配下に置かれ、建設業界の最下層を形成する「谷間の業界」と呼ばれる。コンクリートの安全性や業界の地位向上を高めるには、まず業界自身が大資本と対等な力関係を結ぶ力量を備えなければならない。そのために必要なのが、協同組合という組織である。連帯労組が刑事弾圧されて喜ぶのは、格安戦略で業績を伸ばす協組未加入業者と、それを有難がるゼネコンやセメントメーカーである。事実、刑事弾圧以降、関西の生コン業界は大きな危機に直面している。品質・安全よりも競争原理が席巻し、過度の価格競争(最高で5,000円引)や土曜日稼動の実施、生コン工場の新設などによって安値乱売に拍車がかかる。連帯労組が刑事弾圧を受けたことで、 ゼネコンもセメントメーカーも、悪のりを始めたのである。 安田氏は、今回の弾圧事件と業界に与える影響を追い、「連帯労組に加えられた弾圧は、近代化目前まで育った生コン業界を、再び『タコ部屋』に戻してしまうための大仕掛けではないのか」と結んでいる。 |
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『週刊金曜日』5月20日付で不当弾圧問題を掲載・告発! | 05/5/23up |
『週刊金曜日』編集部が 異常な長期勾留と「組合つぶし」を告発 『週刊金曜日』(「株式会社金曜日」発行)5月20日付(557号)は、生コン支部が取り組んできた産業政策運動の意義を指摘し、大阪府警による弾圧の本質と不当性を告発した。 |
< 発信:全日建連帯労働組合中央本部 > |
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『財界展望』6月号でジャーナリストが告発! | 05/5/10up |
< 発信:全日建連帯労働組合中央本部 > |
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産業政策運動の社会的意義 (1・23決起集会 坪田健一生コン産労執行委員長の主催者挨拶より) |
産業政策課題に取り組む目的は、会社の経営基盤を守り、労働者の雇用を守る為である。だが、過去にも労働組合は、業界安定の取り組みの過程で、国家権力に幾度となく不当な弾圧を受けてきた。今日まで、業界と雇用の安定へ労働組合がいかに過当競争に陥るというくり返しを続けてきた。 中小企業で占める生コン業界の過当競争は、「百害あって一利なし」。倒産の危機と雇用不安を招く結果となる。私たちは、こうしたセメントメーカーの拡販政策に対して反対運動を展開してきたが、その都度、国家権力の不当弾圧を受け、今日まで不屈に運動を進めてきた。 過去の不当弾圧として、82年の「京都事件」がある。大阪兵庫生コンクリート工業組合が構造改善事業を実施し、生コン10工場を廃棄した。その結果、業界が安定した矢先に、一部セメントメーカーが拡販競争を始めた。このメーカーに抗議した労組を標的にして権力弾圧を加えた結果、再び業界が混乱し、各社倒産の危機が長期に続いた。 労働3団体の結束が広域協組設立の原動力 現在の広域生コン協組設立にむけて取り組んだのは、94年。当時の生コン協組は、各地域ブロック毎に運営し、協組組織率も30%に満たなかった。94年2月、当時の大阪地区協組・北大阪協組・東大阪協組の有力者が「価格が安くてこのままでは各社が倒産し、雇用の確保ができない」。従って、「広域協組を立ち上げ、組織率を上げたいから労組の協力を」と、連帯労組と生コン産労に要請があった。 |
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