3月31日、『変革のアソシエ』設立発起人のお一人であり、時には関生支部の学習会講師を務めてくださった、いいだもも先生がお亡くなりになりました。 故人を偲び、業績を称える『いいだももさんを偲ぶ会』が6月25日、東京・日本出版クラブで開催。当日は、故人の幅広い文化・政治活動を表すように、各界から220名が参加しました。
冒頭、輿石正氏作成の悼画を上映。次いで、長年の友人であり、詩人・弁護士の中村稔氏による開会挨拶の後、発起人からの挨拶に入りました。 <生コン支部の闘いに期待していた> この中で、関生支部・武建一委員長は、「いいだ氏は関生支部の闘いに期待していた。それは関生型労働運動が全国に広がれば日本の産業・経済・社会構造を変えることが可能だと考えたからだろう。故人のやり残した仕事を引き継ぎ、発展させたい」と語りました。 この後、献杯・歓談へと進み、最後に、玲子夫人による挨拶がありました。
いいだもも/ 1926年東京生まれ。作家、批評家、活動家。東京大学法学部卒。日銀を退職後、様々な政治・文化活動に従事。つねに現代文明と資本主義をその思想的根底から問い直す、多彩な言論・評論活動を続けた。2004年には生コン会館で開催された「新コミュニスト宣言出版記念シンポジウム」で講演。2011年3月31日逝去。享年85歳。 著書に『斥候よ夜はなお長きや』、『〈主体〉の世界遍歴』、『新コミュニスト宣言』、『世界信用恐慌=サブプライム・ローン大破綻』他多数。
来歴/現在の東京都港区に生まれる。東京府立第一中学校から第一高等学校を経て、1944年に東京帝国大学法学部入学。同期に三島由紀夫がいたが、互いに面識はなかった。戦後まもなく、一高生を中心に全国の大学や高校をつなぐ同人誌『世代』の創刊に参加。 1947年、東大法学部を首席卒業して日本銀行に入行。まもなく結核のため退職し、茨城県で療養中、新日本文学会などに参加。いわゆる残飯闘争を指導した。 1961年、処女作『斥候〔ものみ〕よ夜はなお長きや』を発表。水戸市にて梅本克己たちと水戸唯物論研究会で活動する傍ら、農民運動のオルグに挺身。 1965年、綱領論争をめぐって日本共産党から除名処分を受け、新左翼陣営に入る。1960年代後半はベ平連の活動を支え、思想の科学研究会で活動。1967年、共産主義労働者党書記長に就任。後に議長となり、1969年に辞任。その後、同党の赤色戦線派を結成して活動したが、メンバーを結集させる事ができず指導を放棄して組織から離脱した。以降は自称「しろうと」として、評論家・著述家として活動。 1979年、『季刊クライシス』を創刊、編集代表を務める。 2011年3月31日、老衰のため神奈川県藤沢市の病院で死去。85歳没。 Wikipediaより
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