「断固たる自分」 −高英三という生きざま−
高英三(コウ ヨン サン) 2003年2月2日没 享年47歳
■発刊の辞 奥山典子
二〇〇三年二月、英三のお別れ会をした夜、仲間のみんなは英三の本を出そうと口々に言ってくれたのでした。
追悼や思い出のためなんかじゃなくて、英三のことばを資料にして残さずにいられない、英三のことばから学ぶのだとみんなが言ってくれたのでした。英三は亡くなってしまったけれど、ことばはなくさずに残したいと言ってくれたのでした。私も、私や家族が自分たちのために、英三を焼きつけ、残し、くり返し考えるために書き残したかったのです。
それから毎月一回集まって編集会議をしてプランを練り、素晴らしい原稿もいくつも提出されていましたが、その間、みんなに人生のいろんな試練があり断続的になり、五年の月日がたってしまいました。もうこれ以上遅らせることはできないとみんなが心もとなく思っていた時です。編集に途中参加してくれた印刷業界で働く友人が、若者が絶望しているこの今こそ、英三のことを若い人に知ってもらいたいのだと熱く語ってくれ、停滞していた本作りを著しく押し進める原動力となってくれたのです。
ある友は原稿を書くために奈良の興福寺に阿修羅を見に行ったと話してくれました。ある友は今の苦しみの中で、英三が励ましてくれたことはまだ具体的に書けない、だから今はこれだけしか書けないと言いました。ある友はいつか英三のことを小説に書きたいと言ってくれました。ある友は英三が死んだ事をまだ受けいれられないと語りました。ある友は英三が死んだ時この世にこれはど悲しいことがあるのかと思ったと語ってくれました。
英三が、今もいきいきと皆の心に残っていること、英三がちっとも古びずにいることがうれしかったのです。そして何より、この本が仲間の力でできたことがほんとうに幸せでした。
原稿を書いていて、最初は若しかったのに、最後にはとても幸せな作業だったなあと思わずこみあげてくるものがありました。みんなの原稿をみるたびに励まされ、書きたい思いがあふれてきました。また、写真が入ったこの本のゲラを見た時の感動は生まれて初めてのことでした。古いアルバムで見なれた写真が本の中でゆらゆらと動いて英三やハルモニやアポジやオモニや兄弟姉妹や友人が生きて動いているようにみえたのでした。
若い人々が今苦しんでいます。うちの息子達も下積みの労働で苦しんでいます。
編集者の友人が、今こそ若い人々に英三を読ませたいと熱く語ってくれました。
わたしもいつのまにか若い人に読んでもらおうと思って書いていました。私の書いた部分で自画自賛な点がたくさんあったと思いますが、どうぞお許し下さい。
仲間の力でこの本ができました。私たちの大切な本になることを願っています。
みなさん、本当にありがとうございました。 二〇〇九年一月二日
目次
■発刊の辞 奥山典子
■第T章 はじめに −我が星 高 英三−
内なる灯 高 起星・・・3
我が兄 高 英男・・・10
英三(ヨンサン)のこと 奥山典子・・・18
■第U章 歩んだ軌跡 −共に歩んだ仲間達から−
高英三の運動経過 高 英男・・・35
高英三の入管闘争の記録【年表】 ・・・44
武建一/山内政夫/高山義男/高山史江/中野登/宇野豊/安東守/金光敏/可香谷栄/井上俊幸/坂本由美/李直茂/李文子/反「入管法」運動関西交流会/高英弘/奥山典子 ・・・49
■第V章 高英三発言の記録
今おれは二十歳になった 前進会編「九条思潮(一)」
1974年10月24日 ・・・106
東九条青年会編「九条思潮(三)」
1977年 4月発行 ・・・109
座談会 「崇仁の社会と文化を学ぶ会」
−東九条における在日朝鮮人住民と法的地位−
1999年5月19日 ・・・116
丹波マンガン記念館 特別展記念講演会
2002年7月28日 ・・・140
第一回東九条現場研修講演U 東九条40番地問題から
1982年9月31日 ・・・164
『在日の真の解放を求めて』−闘う在日朝鮮人
第四回外登法・入管法と民族差別を撃つ関西研究交流集会
1995年4月 ・・・171
われわれの力は小さくない。危機を共有し、反撃しよう!
第十二回外登法・入管法と民族差別を撃つ全国研究交流集会
2001年5月 ・・・182
京都における反「日の丸」「君が代」の闘いの現状
2001年5月3日 ・・・188
教育基本法改悪を阻止しよう!侵略と天皇賛美の『つくる会』教科書を許すな!止めよう憲法改悪五・三集会
■編集後記 ・・・193