関生ヒューマンスポット?
●北大阪Aブロック●
私は1990年代の前半に、西宮市にあるD生コンに入社。運転手として働き始めました。
当時のD生コンはアウト社だったため、広範囲に生コン販売を行っており、昼休憩もなく残業代も支払われないなかで朝から夜遅くまで働いていました。しかも社会保険などありません。
そんな時、工場現場近くで関生支部の分会がある生コン工場での賃金・労働条件にすごい格差があることに愕然としたのを今でも覚えています。
それから毎日、職場の仲間と「組合員と非組合員とでこんなにも賃金・労働条件に大差があるのだろうか」と話すようになりました。
また、同じ職場の仲間が会社ともめたこともあり、組合への加入を決意。
また、同じ職場の仲間が会社ともめたこともあり、組合への加入を決意。
公然化後、会社は関生支部の政策を理解し協力。私たちの賃金労働条件が向上しました。
私が加入して一番すごいと感じたことは「関生支部は人権侵害を絶対許さない。権力弾圧に屈しない。組合員(仲間)を絶対に守る」という態度を貫き、それを行動で示すことでした。
1993年3月に生コン製造と輸送が分離され、私はK運輸に移行しましたが、関生支部の政策と運動によって働き続けてこられたことに感謝しています。
私も60歳を過ぎ、後何年働くことができるか分かりりませんが、「関生支部に加入して本当に良かった」と実感しています。
これだけは荒廃組合員に必ず伝えたい強い思いです。
【 くさり5月号より 】