■ 残業容認は過労死への道 ■
飲食店チェーンの店長だった夫は1996年に、49歳で過労自殺しました。店は年中無休で、朝に出勤したら、ほぼ毎日が午前様。月2回の休日すらつぶれがちで、亡くなる前1年間の労働時間は、約4千時間に上がっていました。さらに叱責され、心身とも疲れきり、うつ病になった末の出来事でした。労働災害に認定され会社は謝罪しました。
過労自殺には、「自ら死を選んだ」という無理解があります。私自身、最初は「家族のことは考えなかったんか」と夫に怒りをぶつけました。でも、違うんです。疲労困憊になると、ダメージは心臓や脳だけでなく、精神を襲うこともある。あんなに家族思いだったのに、正常な判断力を奪われ、選ぶ余地なく死に追い込まれた夫に、今はねぎらいの言葉しかありません。長時間労働は心も壊すのです。
人は何のために働くのでしょうか。
まず睡眠時間や自分の時間、家族との時間があり、そのために労働があるはず。だから労働基準法は、労働時間を原則、週40時間と定めるのではないでしょうか。
なのに、これまでは労使が協定を結べば事実上、青天井に残業できました。そこで政府と連合と経済界は今春、協定を結んでも超えられない罰則つきの上限を作ろうとし、極めて忙しい月の残業上限を「100時間未満」とすることで合意しました。
天上ができるから前進だ、という人もいます。でも、私にとっては後退です。今まで国が認めてきた残業時間は、労使協定があっても「原則45時間」で、それ以上は例外でしかなかった。なのに、わざわざ倍以上の時間数を法律に書いて、容認してしまうのです。
しかも、100時間は過労死認定の基準ラインです。
せっかく長時間労働はいけないという風潮が広がってきたのに、これでは「100時間までOK」という「過労死合法化」になりかねない。法案化の前に、今からでも見直してほしい。理想は残業ゼロですが、せめて月45時間以下にすべきです。経済のため、100時間までは仕方ない、という逆算は本末転倒です。
もちろん、やるべき仕事をこなしたり仕事を覚えたりするため、時間を気にせずに働くという日本人の美徳もあると思います。ただ、働き手がそうであればこそ、会社が正しい労働時間管理をして「帰らなあかん」というブレーキは踏まないといけない。
本当に国際競争力や労働力確保を考えるなら、過労死ラインまで残業させる国が、外国にどう映るかも考えるべきです。
命より大切な仕事はありません。ご本人も家族も、長時間労働に注意して、最後は命を守ってほしい。たとえその働き方が合法でも、過労死ラインは超えてはいけない。死んでからでは、遅いのです。!
以上は、全国過労死を考える家族の会代表をつとめるTさんのお話しです。ご自身の体験を語り、他の人に同じような不幸なことが起こらないために運動している姿に敬意を表すのはみなさんも同じではないでしょうか。
■ 安倍政権の「働き改革」に惑わされないことが重要! ■
私たちは、安倍政権が推進する「働き方改革」によって、労働者が過酷な労働を強いられ、一部の特権階級が利益を得ることになる法案を阻止する運動をつくることが求められています。
「働き方改革」の本質を暴露する情宣活動を組織しましょう。
【 記事:武谷書記次長 】