関生ヒューマンスポット?
●三田ブロック●
1973年、大型免許を取った私は、大型車に慣れるために友人の口利きでFコンで働く友人の弟、Mさんの横乗りをさせてもらいました。
当時のFコンには、月給制の会社と償却制の会社があり、月給制の会社から「ミキサーに乗ってアルバイトをしないか」と誘われてミキサー車のドライバーに。
それが、私が生コン業界に入ったきっかけです。
3年後、償却制で働いていた人たちから「組合を作らないか」と声を掛けられ1976年2月に12人で当時の全自運に加入し、組合を結成しました。
結成後、団体交渉を重ねた結果、賃金・労働条件は大幅に改善されていきました。そんななか、Fコン社は月給制の会社と償却制の会社、2社との契約を解除。私たち運転手はFコンの社員になることができました。
順風満帆かと思われましたが、出荷が落ち込んだ時期に数名が一旦退職し、出荷量が上向きになり再度雇用するといったこともありました。
しかし、再び景気が落ち込み、Fコン社は2002年に閉鎖となり、FコンのシェアはS生コンに移り私たち全員がS生コンには行けず、しばらくの間、朝日で就労。後に数名がY生コンとS生コンに日々雇用として入ることができ現在に至っています。
関生支部は一貫して業界再建運動を進めています。そろそろ次世代に交代する時期になっていますが、私自身、これから若い人たちにしっかりと引き継げるように頑張っていきたいです。
【 くさり4月号より 】