●国策を風刺する川柳人の鶴彬さん、治安維持法で獄死●
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」。軍国主義の下で、沈黙と服従を拒み続けた反戦の川柳人、鶴彬(つるあきら、1909~38)さん。治安維持法によって逮捕され、29歳で獄死してから79年が過ぎました。
鶴さんは今の石川県かほく市生まれです。17歳の一時期には、大阪市の町工場で働いていました。1931(昭和6)年には1度目の逮捕で、大阪城にあった陸軍えいじゅ監獄に1年8ヶ月収監されました。
鶴さんは投獄にも屈せず、「万歳とあげて行った手を大陸において来た」「タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやらう」と国策を風刺する川柳を詠み続け、「塹壕で読む妹を売る手紙」「フジヤマとサクラの国の餓死ニュース」と「銃後(戦場の後方。直接戦闘に加わらない一般国民)」の貧しさをえぐり出しました。さらに、「胎内の動き知るころ骨がつき」と夫の遺骨を受け取る身重の妻の姿を見逃さなかったのです。
そうして1937年、東京・野方署に逮捕され、2度目の投獄。翌年の9月14日に赤痢で死んだのです。
こうした経緯から、鶴さんを仰ぐ大阪の川柳作家らでつくる「あかつき川柳会」が中心になって全国から寄付を募り、大阪城公園の豊国神社近くの監獄跡地に顕彰碑が2008年に建てられました。この顕彰碑は、以来、川柳会が碑前祭を営んでいるのです。
川柳会の会長はあいさつで「中国への侵略戦争が始まった翌年に鶴彬は獄死した。瀕死の体に腰縄と両手錠をされて悲惨だった。鶴を殺した時代を繰り返してはならない」と参加者に呼びかけました。
金沢から参加した代表者からは、大阪を皮切りに職を求めて各地を転々とした鶴さんは、自らも貧しいながら、女性や朝鮮人らを見つめていたと。「休めない月経痛で不妊症」「みな肺で死ぬる女工の募集札」「母国掠め盗った国の歴史を復習する大声」「行きどころのない冬を追っ払われる鮮人小屋の群れ」と詠み、弱い者の味方の鶴さんを振り返り、「戦争は、死んでいく兵、子どもを兵にせざるをえない母親ら弱い存在をつくり出す。戦争を無くす努力が求められる今こそ鶴は生きる」と語りました。
東京から参加した川柳作家は、「世直しへ幾千万の鶴よ翔べ」と書いたむしろ旗を持参して、「戦争政策と貧困とで世の中は急速に壊れてきている。意思表示をし行動する『現代の鶴』になろうと呼びかけたい」と話しました。
治安維持法は第2次世界大戦後に廃止されましたが、国の謝罪や賠償はありません。会に参加した、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟府本部副会長は、「なぜ鶴は赤痢にかかったのかを一番知っているのは権力であり、政府は真相を調査するべきなのに、今も拒否している」と悔しさを隠しませんでした。
現役の国会議員は、戦争体験者がほぼいなくなっている状況です。それを知ってか安倍政権は、戦争ができる国づくりを強力に進めています。安倍政権は、自らの経済政策や外交政策の失敗を戦争によって隠蔽しようと目論んでるのではないでしょうか。そのことが、安倍首相の憲法改悪の意欲を示していることに表れています。
私たちは、二度と戦争の悲惨さを繰り返さないために、鶴彬さんたちの意志を引き継ぎ、戦争のための軍事国家によって人権が踏みにじられることを暴露する闘いが求められています。街頭に出て宣伝アピールしましょう。
【 記事:武谷書記次長 】