組織拡大の威力
みなさんは『風雲去来人馬(ふううんきょらいじんば)』を読んだことはありますか?
この本には組合結成から1994年頃までの関生支部の歴史が書かれています。今回はそのなかで、どれほど組織拡大が「威力」を発揮するのか紹介したいと思います。
1965年に5分会183名で結成された関生支部。いくつもの困難や大闘争を乗り越えながら運動を発展させ、1980年代初めに高揚期を迎えます。
1981年の春闘では、大阪兵庫工組が「連帯して組合員の雇用責任を負う」ことを約束。また、雇用の安定や福祉の増進をはかるために工組加盟企業が資金を出し合って100億円の基金をつくることに合意しました。この「100億円基金」は失業者の生活保障や高齢者の雇用創出のための施設建設、産業年金事業などを行うためのものとされました。
さらに、翌82年には、それまでの労使協約事項や合意事項合わせて「32項目」について労使で確認し合いました。このなかには産業横断的な雇用・賃金・労働条件の確立が盛り込まれていたのです。
ではなぜ、当時、このように画期的な成果が得られたのでしょうか?
ではなぜ、当時、このように画期的な成果が得られたのでしょうか?
その理由は「拡大が進んで組織の質・量が飛躍的に向上し、関生支部が各地区協組や工組の動向を左右する力を持った」からです。
『風雲去来人馬』によると、当時、大阪兵庫工組加盟195工場のうち関生支部はなんと99工場を組織(50・8%)。さらに、各地区協組別では、北大阪で82%、大阪・神戸・北神でも50%を超えるという高い組織率を維持していたのです。この高い組織率こそ政策闘争を前進させた最も大きな要因なのです。
各地で組織拡大が進むなか、地域での組織率60%を達成させることで、政策運動が前進し、自らの要求の前進につながります。そのことは、歴史が証明しているのです。
【 くさり2月号より 】