私は、1988年 F社にミキサー運転手として入社しました。 入社半年後位に連帯労組に加入し、今に至っています。 当時は、春闘でも賃上げが、2万円、3万円と勝ち取れる時代で、その原動力と成ったのは言うまでもなく連帯労組の行動力そのもの。私にとって大きな魅力でした。 この三十年近くの間には、2回も倒産を経験しましたが、職場占拠で工場に泊まり込み、現在も生コン業界で働くことが出来ています。 生コン支部に感謝の気持を伝えたいです。 私も今年で定年ですが、倒産にも負けず仕事をしてこられたのは、連帯の組合員として活動出来た結果と思います。 労働運動とは、あらゆる職場の弱い人の立場に立ち、組合員の運動によって助ける事が第一であり、その成果が行く行くは自分自身に繋がると確信します。 記事:I組合員 1980年当時、私の勤めていた運送会社で労働条件の切り下げの話があり、運転手7名で当時の運輸一般に組織加入しました。 1988年に私がF社に入社して以来、現在のKT社までに何回かの倒産を経験しました。しかし、組合員の団結力でいつもその苦境を乗り越えてくることができました。 たとえ職場が違っても、組合を通じて仲間意識が生まれ連帯感があったからです。 それは、『人の痛みは我が痛み』としてとらえる組合だからこそできたことかなと思います。 動員や学習会などは多いですが、それらの取り組みによって組合員としての「権利意識」や「社会情勢への認識」も高まっていきます。 ひとりでは企業とは闘えません。しかし、仲間がいれば立ち向かえるのだということに確信を持つことができました。 記事:M組合員
私は、1988年 F社にミキサー運転手として入社しました。 入社半年後位に連帯労組に加入し、今に至っています。 当時は、春闘でも賃上げが、2万円、3万円と勝ち取れる時代で、その原動力と成ったのは言うまでもなく連帯労組の行動力そのもの。私にとって大きな魅力でした。 この三十年近くの間には、2回も倒産を経験しましたが、職場占拠で工場に泊まり込み、現在も生コン業界で働くことが出来ています。 生コン支部に感謝の気持を伝えたいです。 私も今年で定年ですが、倒産にも負けず仕事をしてこられたのは、連帯の組合員として活動出来た結果と思います。 労働運動とは、あらゆる職場の弱い人の立場に立ち、組合員の運動によって助ける事が第一であり、その成果が行く行くは自分自身に繋がると確信します。
1980年当時、私の勤めていた運送会社で労働条件の切り下げの話があり、運転手7名で当時の運輸一般に組織加入しました。 1988年に私がF社に入社して以来、現在のKT社までに何回かの倒産を経験しました。しかし、組合員の団結力でいつもその苦境を乗り越えてくることができました。 たとえ職場が違っても、組合を通じて仲間意識が生まれ連帯感があったからです。 それは、『人の痛みは我が痛み』としてとらえる組合だからこそできたことかなと思います。 動員や学習会などは多いですが、それらの取り組みによって組合員としての「権利意識」や「社会情勢への認識」も高まっていきます。 ひとりでは企業とは闘えません。しかし、仲間がいれば立ち向かえるのだということに確信を持つことができました。
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