私が就職したのは1974年。高度成長時代で生コンの需要も全盛期でした。当時はミキサー車の償却制で、売り上げのために運転手同士が競争している状態でした。 これではいけないと先輩や運転手仲間12名で連帯労組(当時、全自運)に1975年に加入。労働条件改善と生活できる賃金を求めて公然化しました。 当時、会社はMセメントの準直会社でしたが、争議もなく賃金労働条件もすぐに改善。就労後の風呂場や食堂の設置、休憩時間を有意義に過ごす設備など、要求すればすぐに会社が対応。 ほとんどの従業員が連帯労組に結集しました。 未組織運転手からは、「連帯労組のある企業への就職は東大に入るより難しい」と言われていたそうです。 地域の生コン工場で組織拡大が進み、三田ブロックは100名以上の組合員で活気に満ちていました。連帯フェスタやスポーツフェスタ、自動車パレードにも家族と共に参加し、団結すれば絆が生まれることを実感しました。 また、当時は同一労働同一賃金が確立されており、企業に他労組があると要求が前進しないことから、労組を一本化するためにトレードが行われました。 いま考えても先進的なことです。 まさしく「撃てば響く関生」です。 当時、家族を養っても余裕がある賃金・一時金・福利厚生を勝ち取っていました。 紆余曲折があり、Fコンは生産委託をして、現在はJ社で日々雇用として就労しています。会社はなくなっても雇用は守られました。 83年の分裂も経験しましたが、連帯の組合員で良かったと確信しています。 連帯労組に少しでも貢献できるよう、微力ながら日々活動に取り組んでいます。
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