2012年6月、私は、生活を安定させて、交際していた女性と幸せな家庭を築くために、関生支部にお世話になる決意をしました。 今まで多くの職種に携わってきましたが、労働組合とは全く縁のない環境でした。 ましてや「他人の痛みは己の痛み」をモットーにすることなどなく、朝日分会に入った時は、組合活動に対する不安と戸惑いが大きなプレッシャーになり、運転業務に不慣れなこともあって失敗続きの日々で自己嫌悪に陥っていました。 一般の企業に勤めていたら解雇されているか、自分から身を引いていたと思います。 「他人の痛みは己の痛み」という精神を大切にする仲間のみなさんに、何度も意志統一をしていただき、叱咤激励していただきました。 問題から目を背け去ることは簡単ですが、関生精神を大切にして困難から逃げず、自分自身を成長させ、これまでの恩を返すことを念頭に置きいて感謝の気持ちでひたすら頑張ってきました。 仲間に支えてもらったおかげで、家族を守る生活基盤も確立しました。当初の目的だった結婚もできて、新たな生命も授かり今に至ります。 今後も、なぜ自分が関生支部に加入したのかの経緯・経過を忘れず、成長し、人とのつながりを大切にします。 そして、感謝を忘れず、ひとつでも返せるように精進します。 失敗や一人で乗り越えられない問題も、仲間の支えと自分自身の成長により勝ち取ることができると伝えていきたいです。 ◇「組合に入って本当に良かったなぁ」とつくづく思う◇ ★ 周りにいい仲間がいたから!★ 当時、10年位働いていた土木会社に組合ができましたが、私はしばらくは組合に入りませんでした。 私は、今の職に就く前は長く建設業職人として働いており、社長にたてついて組合加入するなど思いもしなかったからです。 加入を決意したのは、1994年、社長から突然「仕事がヒマになるから給料を下げる」といわれたことがきっかけでした。 社長のその言葉に、私は不安で仕方がなくなり組合に相談。加入を決意しました。 加入当初は、自分に組合活動ができるかどうか不安でしたが、組合活動にもすぐに慣れ、また、組合員のみんなもいい人ばかりで、支えられながら今日までやってこれたと思います。 組合加入以降は、協同輸送会社に転籍。労働条件の大幅な向上を勝ち取ることができましたが、地域の生コン需要減少から工場閉鎖が相次ぎ、働いていた生コン会社も閉鎖となり、その後働いた3社も全て閉鎖。別の会社でも働きましたが、業務集約のため現在はK工業で働いています。 組合に加入して約20年経ちますが「組合に入って本当によかったなぁ」とつくづく思います。 私も年をとり、後何年みなさんと一緒に活動ができるか分かりませんが、今後もよろしくお願いします。 ◇ブロックを引っ張ってくれる思いやりある副ブロック長◇ ◆ 昔気質で生真面目なやっさん ◆ 今期、神戸ブロックで副ブロック長という大役を担ってもらっている、神戸ブロック朝日班のYさん(通称やっさん)を紹介します。 神戸ブロックの副ブロック長の役割は、ある意味一番大変な役所で、様々な部分で牽引役を果たす、言わば「縁の下の力持ち」と言えます。 Yさんは御年6?才と神戸ブロック内では最年長ですが、年齢を全く感じさせない体力と気力。負けん気が強く何事にも前向きなチャレンジ精神の持ち主で「言葉よりも行動で示す」がモットー(?)という人物です。 ご存じの方はよく分かると思いますが、見た目は「鬼面」。 言葉遣いもガラが悪い強面(笑)ですが、実は昔気質の生真面目で思いやりある後輩思いの良い人なのです。 いつも「若い連中のために、ワシらが何とかしてやらんと」と言い、老体に鞭を打ちながら(笑)「ワシの背中を見ろ」と言わんばかりに、組織活動や行動でも最前線に立って頑張ってくれている頼れるスーパーGGです。 後ろ姿を見せられブロックの若手や中堅メンバーが、日々、良い刺激を受けながらこの1年少しずつですが活性化してきました。 そんな「やっさん」の活躍に期待しながらも、一方では、「若くないから、あんまり無理せんとってよ」と思う今日この頃です。 ◇ 組合在籍30年!山あり谷ありの歴史を振り返って ◇ 私が生コン車に乗ったのは二十歳すぎのことでしたが、今でも記憶に残っています。 最初は操作や現場の状況も諸先輩方に聞いて就労していましたが、数ヵ月で修得し、一本立ちできるようになりました。 そして数年経ってから、知人から但馬地域にある生コンクリート会社が乗務員を募集していると聞き、すぐに連絡。 その後、面接を受けて採用されました。 会社に入ってみると、賃金や労働条件は最悪でした。 そして、但馬地域の組合員に相談し、1984年3月に関生支部に加入しました。 会社との団体交渉を重ね、労使関係も円満となり、夢のマイホームを新築しました。 ところが、家のローンもあとわずかとなった2006年4月、会社は一方的に破産宣告を通知してきました。この倒産をきっかけに、人生の転機がやってきました。最悪の事態です。父母、義父は亡くなり、妻は骨折し、息子も骨折といった災難がふってきました。 しかし、約5年間の争議を闘い抜き、円満解決を勝ち取りました。 その間、支部役員や各ブロックの皆さんには色々ご支援やご指導をいただき、有難うございました。 現在は地域で日々雇用として就労中です。 若い組合員さんが次々と増えている現状をとても喜んでいます。 もう高齢でもあるので、あと何年、運動と就労ができるか分かりませんが、頑張っていきますのでよろしくお願いします。
2012年6月、私は、生活を安定させて、交際していた女性と幸せな家庭を築くために、関生支部にお世話になる決意をしました。 今まで多くの職種に携わってきましたが、労働組合とは全く縁のない環境でした。 ましてや「他人の痛みは己の痛み」をモットーにすることなどなく、朝日分会に入った時は、組合活動に対する不安と戸惑いが大きなプレッシャーになり、運転業務に不慣れなこともあって失敗続きの日々で自己嫌悪に陥っていました。 一般の企業に勤めていたら解雇されているか、自分から身を引いていたと思います。 「他人の痛みは己の痛み」という精神を大切にする仲間のみなさんに、何度も意志統一をしていただき、叱咤激励していただきました。 問題から目を背け去ることは簡単ですが、関生精神を大切にして困難から逃げず、自分自身を成長させ、これまでの恩を返すことを念頭に置きいて感謝の気持ちでひたすら頑張ってきました。 仲間に支えてもらったおかげで、家族を守る生活基盤も確立しました。当初の目的だった結婚もできて、新たな生命も授かり今に至ります。 今後も、なぜ自分が関生支部に加入したのかの経緯・経過を忘れず、成長し、人とのつながりを大切にします。 そして、感謝を忘れず、ひとつでも返せるように精進します。 失敗や一人で乗り越えられない問題も、仲間の支えと自分自身の成長により勝ち取ることができると伝えていきたいです。
★ 周りにいい仲間がいたから!★ 当時、10年位働いていた土木会社に組合ができましたが、私はしばらくは組合に入りませんでした。 私は、今の職に就く前は長く建設業職人として働いており、社長にたてついて組合加入するなど思いもしなかったからです。 加入を決意したのは、1994年、社長から突然「仕事がヒマになるから給料を下げる」といわれたことがきっかけでした。 社長のその言葉に、私は不安で仕方がなくなり組合に相談。加入を決意しました。 加入当初は、自分に組合活動ができるかどうか不安でしたが、組合活動にもすぐに慣れ、また、組合員のみんなもいい人ばかりで、支えられながら今日までやってこれたと思います。 組合加入以降は、協同輸送会社に転籍。労働条件の大幅な向上を勝ち取ることができましたが、地域の生コン需要減少から工場閉鎖が相次ぎ、働いていた生コン会社も閉鎖となり、その後働いた3社も全て閉鎖。別の会社でも働きましたが、業務集約のため現在はK工業で働いています。 組合に加入して約20年経ちますが「組合に入って本当によかったなぁ」とつくづく思います。 私も年をとり、後何年みなさんと一緒に活動ができるか分かりませんが、今後もよろしくお願いします。 ◇ブロックを引っ張ってくれる思いやりある副ブロック長◇ ◆ 昔気質で生真面目なやっさん ◆ 今期、神戸ブロックで副ブロック長という大役を担ってもらっている、神戸ブロック朝日班のYさん(通称やっさん)を紹介します。 神戸ブロックの副ブロック長の役割は、ある意味一番大変な役所で、様々な部分で牽引役を果たす、言わば「縁の下の力持ち」と言えます。 Yさんは御年6?才と神戸ブロック内では最年長ですが、年齢を全く感じさせない体力と気力。負けん気が強く何事にも前向きなチャレンジ精神の持ち主で「言葉よりも行動で示す」がモットー(?)という人物です。 ご存じの方はよく分かると思いますが、見た目は「鬼面」。 言葉遣いもガラが悪い強面(笑)ですが、実は昔気質の生真面目で思いやりある後輩思いの良い人なのです。 いつも「若い連中のために、ワシらが何とかしてやらんと」と言い、老体に鞭を打ちながら(笑)「ワシの背中を見ろ」と言わんばかりに、組織活動や行動でも最前線に立って頑張ってくれている頼れるスーパーGGです。 後ろ姿を見せられブロックの若手や中堅メンバーが、日々、良い刺激を受けながらこの1年少しずつですが活性化してきました。 そんな「やっさん」の活躍に期待しながらも、一方では、「若くないから、あんまり無理せんとってよ」と思う今日この頃です。 ◇ 組合在籍30年!山あり谷ありの歴史を振り返って ◇ 私が生コン車に乗ったのは二十歳すぎのことでしたが、今でも記憶に残っています。 最初は操作や現場の状況も諸先輩方に聞いて就労していましたが、数ヵ月で修得し、一本立ちできるようになりました。 そして数年経ってから、知人から但馬地域にある生コンクリート会社が乗務員を募集していると聞き、すぐに連絡。 その後、面接を受けて採用されました。 会社に入ってみると、賃金や労働条件は最悪でした。 そして、但馬地域の組合員に相談し、1984年3月に関生支部に加入しました。 会社との団体交渉を重ね、労使関係も円満となり、夢のマイホームを新築しました。 ところが、家のローンもあとわずかとなった2006年4月、会社は一方的に破産宣告を通知してきました。この倒産をきっかけに、人生の転機がやってきました。最悪の事態です。父母、義父は亡くなり、妻は骨折し、息子も骨折といった災難がふってきました。 しかし、約5年間の争議を闘い抜き、円満解決を勝ち取りました。 その間、支部役員や各ブロックの皆さんには色々ご支援やご指導をいただき、有難うございました。 現在は地域で日々雇用として就労中です。 若い組合員さんが次々と増えている現状をとても喜んでいます。 もう高齢でもあるので、あと何年、運動と就労ができるか分かりませんが、頑張っていきますのでよろしくお願いします。
★ 周りにいい仲間がいたから!★
当時、10年位働いていた土木会社に組合ができましたが、私はしばらくは組合に入りませんでした。 私は、今の職に就く前は長く建設業職人として働いており、社長にたてついて組合加入するなど思いもしなかったからです。 加入を決意したのは、1994年、社長から突然「仕事がヒマになるから給料を下げる」といわれたことがきっかけでした。 社長のその言葉に、私は不安で仕方がなくなり組合に相談。加入を決意しました。 加入当初は、自分に組合活動ができるかどうか不安でしたが、組合活動にもすぐに慣れ、また、組合員のみんなもいい人ばかりで、支えられながら今日までやってこれたと思います。 組合加入以降は、協同輸送会社に転籍。労働条件の大幅な向上を勝ち取ることができましたが、地域の生コン需要減少から工場閉鎖が相次ぎ、働いていた生コン会社も閉鎖となり、その後働いた3社も全て閉鎖。別の会社でも働きましたが、業務集約のため現在はK工業で働いています。 組合に加入して約20年経ちますが「組合に入って本当によかったなぁ」とつくづく思います。 私も年をとり、後何年みなさんと一緒に活動ができるか分かりませんが、今後もよろしくお願いします。
◆ 昔気質で生真面目なやっさん ◆
今期、神戸ブロックで副ブロック長という大役を担ってもらっている、神戸ブロック朝日班のYさん(通称やっさん)を紹介します。 神戸ブロックの副ブロック長の役割は、ある意味一番大変な役所で、様々な部分で牽引役を果たす、言わば「縁の下の力持ち」と言えます。 Yさんは御年6?才と神戸ブロック内では最年長ですが、年齢を全く感じさせない体力と気力。負けん気が強く何事にも前向きなチャレンジ精神の持ち主で「言葉よりも行動で示す」がモットー(?)という人物です。 ご存じの方はよく分かると思いますが、見た目は「鬼面」。 言葉遣いもガラが悪い強面(笑)ですが、実は昔気質の生真面目で思いやりある後輩思いの良い人なのです。 いつも「若い連中のために、ワシらが何とかしてやらんと」と言い、老体に鞭を打ちながら(笑)「ワシの背中を見ろ」と言わんばかりに、組織活動や行動でも最前線に立って頑張ってくれている頼れるスーパーGGです。 後ろ姿を見せられブロックの若手や中堅メンバーが、日々、良い刺激を受けながらこの1年少しずつですが活性化してきました。 そんな「やっさん」の活躍に期待しながらも、一方では、「若くないから、あんまり無理せんとってよ」と思う今日この頃です。
私が生コン車に乗ったのは二十歳すぎのことでしたが、今でも記憶に残っています。 最初は操作や現場の状況も諸先輩方に聞いて就労していましたが、数ヵ月で修得し、一本立ちできるようになりました。 そして数年経ってから、知人から但馬地域にある生コンクリート会社が乗務員を募集していると聞き、すぐに連絡。 その後、面接を受けて採用されました。 会社に入ってみると、賃金や労働条件は最悪でした。 そして、但馬地域の組合員に相談し、1984年3月に関生支部に加入しました。 会社との団体交渉を重ね、労使関係も円満となり、夢のマイホームを新築しました。 ところが、家のローンもあとわずかとなった2006年4月、会社は一方的に破産宣告を通知してきました。この倒産をきっかけに、人生の転機がやってきました。最悪の事態です。父母、義父は亡くなり、妻は骨折し、息子も骨折といった災難がふってきました。 しかし、約5年間の争議を闘い抜き、円満解決を勝ち取りました。 その間、支部役員や各ブロックの皆さんには色々ご支援やご指導をいただき、有難うございました。 現在は地域で日々雇用として就労中です。 若い組合員さんが次々と増えている現状をとても喜んでいます。 もう高齢でもあるので、あと何年、運動と就労ができるか分かりませんが、頑張っていきますのでよろしくお願いします。
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