忘れられない夏、広島・長崎
73年前の8月、広島と長崎の中心地に閃光と熱爆風、キノコ雲が天高く舞い上がり、町は火の海と化し、ケロイド状に焼き爛れて逃げ惑う人々は、水を求めて川に入った。いつの間にか川一面に死体が漂い、「地獄絵」となっていった。日本で唯一の地上戦となり、島民の半数が犠牲となった沖縄。この悲惨な歴史を繰り返さないためにも広島・長崎・沖縄で起きた出来事を忘れてはいけない。
◆戦争責任を国民に…「終戦の日」と曖昧に◆
しかし、安倍政権は、太平洋戦争がなかったかのように、朝鮮半島の軍事的緊張を最大限利用し、国会において〝秘密保護法〟や〝戦争法〟を強行採決し、再び日本国民を戦争に引きずり込もうとしている。
私たちは、アジアを侵略し2000万人を超える尊い人命を奪った太平洋戦争に負け、ポツダム宣言を受諾し、全面降伏を宣言したのだ。そして、9月2日、東京湾に停泊していたミズリー号上で降伏文書への調印が行われ、事実上の戦争が終結した。
しかし、戦争加害国である日本は、アジア民衆への謝罪と償いを怠ったままにしている。ドイツは、戦争責任を曖昧にせず、いまも戦争犯罪者への責任を子々孫々まで追求している。
日本は戦後、昭和天皇の戦争責任を回避するために「一億総懺悔」を唱え、日本の戦争責任の所在を曖昧にし、8月15日を「敗戦の日」ではなく「終戦の日」とした。二度と戦争を繰り返さないためにも正しく歴史を認識しなければならない。
◆広島・長崎の原爆は止めることができた◆
何故、広島・長崎への原爆投下されるまでに、早く戦争を終えることができなかったのだろうか。その最大の要因は、昭和天皇にある。何故なら、1945年2月14日、当時の近衛文麿首相は、昭和天皇に「近衛上奏文」を奏上し、早期の戦争終結を説いたが、昭和天皇は「戦果を挙げてから」として近衛の進言を拒否した。この時点で昭和天皇が積極的に戦争終結に動いていたら、東京空襲、大阪空襲、そして沖縄の地上戦は避けられたのではないだろうか。
ましてや、7月26日に連合国側から出されたポツダム宣言の受託を決断していれば、原爆投下による広島14万人、長崎7万人の方々が犠牲になることはなかったのだ。
だから、忘れてはならない夏であり、8月6日の広島であり、8月9日の長崎なのだ。安倍晋三さん、祖父である故岸信介がA級戦犯であることを忘れていませんよね。
【 くさり8月号より 】