文化部通信Vol.25
文化部の企画で4月28日に上映した「米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー」を紹介をしたいと思います。今回参加されなかった方もぜひ観ていただきたいです。
終戦から7年後の1952年4月1日、首里城跡地で亀次郎と米軍の闘いの原点ともいえる出来事が起きました。
琉球王国のシンボル・首里城は沖縄で米軍によって破壊しつくされました。無残に崩された石垣を残して、琉球王国の遺産は跡形もなくなり代わりに米軍によって琉球大学の校舎が造られました。沖縄を占領するアメリカ軍は、日本への復帰運動などを抑えるために、アメリカが指名した行政官による「琉球政府」を設立することなりました。
この日に行われた創立式典では、星条旗と並んで将官旗がはためき、アメリカ陸軍軍楽隊の大コーラスが響くなか、ビートラー米民政府副長官が「アメリカには植民地野望はなく、不安な国際情勢下に太平洋の前衛地としての当地に駐屯を余儀なくされている」と挨拶しました。
式典の最後に、代表の議員が宣誓文を読み上げたあと、議長が立法院議員(現在の県議会議員にあたる)の名を読み上げ、それぞれが立って脱帽し一礼を行いました。
★アメリカに屈しない男★
そのなかで、ただひとり立ち上がらなかった人物がいました。最後列の席で、ひとり座ったまま。「なぜだ?」会場に広がるどよめきの声があがりました。その人物が亀次郎でした。
「瀬長亀次郎さん!」と呼ばれても返事もせず座ったまま。将軍らの顔は真っ赤になり、米軍によって指名された琉球政府主席はじめ日本人行政官は青ざめていました。
亀次郎はガジュマル(沖縄の木)をこよなく愛していました。その理由は「どんな嵐にも倒れない、沖縄の生き方そのもの」だったからです。そして、亀次郎はガジュマルにちなんだ「不屈」という言葉をよく使ったそうです。
彼のことは、敗戦後の沖縄で常に民衆の先頭に立ち、米軍の圧政と戦い、演説会を開けば毎回、何万もの人を集めた人物であったことが記憶に残っていると聞きます。
そんな瀬長亀次郎の生き方は、私たち連帯労組の「関生魂」と相通じあうものがあると感じます。
組合員は、日々の職場の生産現場で、また組合活動や現場行動など行っています。しかし、しばし椅子に座り身体の動きを止め、映画を観ることで、身体も心も休め、日々の活動を振り返り、組合活動を再認識することにつながると思います。また、映画を観て士気を高めることにもつながります。
【 くさり5月号より 】