石川一雄さんの無実を訴え
10月26日、18時から天王寺駅東口で「狭山事件再審」を求める広報宣伝活動を行いました。犯人を石川さんと決めつけ、さまざまな矛盾を強引に言いくるめたペテン的な判決が下された。支援者らの再審を求める闘いは続いている。
◆ 「狭山事件」から54年「無罪を」訴え続けた◆
多数の支援者の方々と共に、狭山事件の内容が記載されたティッシュを配りながら通りゆく人々に声を掛けました。1時間ほどの活動でしたがたくさんの人に公平な再審を訴え、早急に石川さんが無実であることが証明される日まで狭山事件の闘いは続きます。
狭山事件を知らない人はたくさんいると思いますが事件の事実を知れば自分自身も明日、何も関係のない事件の容疑者にされるという立場にあることがわかるはずです。差別を無くし、共生・協同の社会に1日でも早く変えていかなければ生活を奪われることになります。労働組合と他団体、市民の方々と共闘して闘い抜く強い結束力が必要と考えています。
≪ 阪南・泉州 青年女性部 ≫
冤罪を訴え駆け抜け五〇年 まだ見ぬ春は近きと信じ 石川 一雄
【狭山事件とは…】
1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高生が行方不明となり、身代金を要求する脅迫状が届けられた。5月3日、身代金を取りに来た犯人を警察官が取り逃がし、翌4日に女子高生は遺体として発見された。警察は被差別部落に見込み捜査を行い、5月23日早朝、石川さんを別件で逮捕した。逮捕後、警察は嘘の約束や脅しで虚偽の自白をさせる。自白が決め手となり死刑判決が出された。
その後、石川さんは虚偽の自白をしたと主張。当時の石川さんには脅迫状は書けないとする筆跡鑑定などが提出されたが、寺尾裁判長は、無期懲役の判決を出し、最高裁は上告を棄却。二審での無期懲役刑が確定した。その後、無実を訴え続けてきた。
【 くさり12月号より 】