関生ヒューマンスポット?
H社の闘争が終結して25年、新たにHO社に連帯労組の旗が上がりました。
私は、2004年から5年間、関生支部に在籍。朝日分会執行部を4年間経験しました。当時はまだ朝日分会が独立しており、会議や行動によく支部へ通ったのを覚えています。
2009年12月に労組とH社とB社の間で人員補充に関する問題があり、私が連帯労組から他労組へ移籍し、HO社の社員となることで解決に至りました。当時の関生支部の担当常任、今は亡き高副委員長に檄をいただき、連帯労組を後にしたのを覚えています。
他労組に移籍し、就労と活動に労を費やしてきましたが、8年4ヵ月の時を経て連帯労組に改めて加入することになりました。理由は労組の方針の相違や、労々間の温度差、雇用不安などからです。また、経済要求や制度要求などが前進せず、生コン産業政策協議会などとの連携も図れず不安を感じていました。
京津地域の情勢は、出荷量・生コン単価が共に比較的安定していると聞いていましたが、当社においては経営不振が続き、合理化案まで提案されていました。連帯労組に加入後は、雇用不安は解消。日々の会議、学習会、行動こそが運動前進、要求実現のための根幹であると痛感。運動無くして成果なしです。
現在、京都地域で4協組の連合会設立が実現し、今まででは考えられなかった程に業界はまとまりを見せています。
また、職場にはB分会があり、心強い味方です。今後は業界安定、労働者の労働条件と地位向上、運動前進に向け尽力します。
≪ 記事:京津ブロック K組合員 ≫
【 くさり11月号より 】