毎年、私たちの要求を実現するために集団交渉が行われています。経営者側の代表として交渉の窓口が「大阪兵庫生コン経営者会」です。経営者会がどのような経緯で誕生したのか?なぜ必要なのか?経営者会の歴史を学ぼう。
◆メリットがない?
一部の生コン経営者は、「経営者会に入っても何のメリットもない」と発言していますが本当にそうなのでしょうか。
私たちの労働組合がある企業は、賃金や年間一時金などの労働条件が高い水準にあることは当然のことです。これは労働組合の社会的使命であるからです。
生コン産業は、1970年代に建設ラッシュが終息に向かったことから、需要が激減し、過当競争に入り、生コン価格が下落しました。当時の通産省は「構造不況業種」に指定し、1974年の近代化促進法が時限立法で法制化されました。この状況をチャンスと捉え、関生支部は「生コン産業政策運動」の方針を提起して実践しました。
その結果、中小零細企業の生コン業者は、形だけの協同組合から中小企業の権益を守る協同組合へと大転換して、共同受注・共同販売・シェア運営により、生コン価格の下落をとめ、さらに値戻し・値上げを実現して生コン業者の経営が安定したのです。これは労使協力による成果でした。
当時の大阪兵庫生コン工業組合と関生支部は、集団的労使関係を築き、生コン産業に従事する労働者は、労働条件の改善だけでなく中小企業の経営安定に大きく貢献したのです。
当初、工業組合と労働組合との間で「工業組合は使用者団体として労働契約を締結する。未組織既組織企業を含めて統一労働条件、集団交渉を行う」との労働協約を締結していました。その後、生コン経営者会との間に同様の協定書を締結し今日に至っています。
◆大槻文平の政策で…
1982年、日経連・大槻文平の「経営者会つぶし」政策により、その後の10年間、関西の生コン業界は、セメントメーカー支配下となり、生コン価格の下落が止まらず、中小企業の生コン業者は疲弊し、破産や倒産を余儀なくされました。また、労働者の労働条件は劣悪なものとなったのです。
◆直系の集団脱退工作
2010年の139日にわたるストライキ以降、セメントメーカー直系工場が経営者会を脱退、集団交渉つぶしが目論まれました。そのことから、生コン価格が下落し、ゼネコンへの過剰サービスが常態化するなかで、生コン業者の一部は、破産・倒産に追い込まれました。当然、労働者の労働条件は悪化し、出入り業者は運賃のダウンなど経営が苦しい状態となったのです。
◆327社結集させる
2011年、関生支部は、敵の攻撃を粉砕すべく、近畿2府4県の生コン関連業者327社を結集させて、定期的な労使懇談会を開催するなど労使協力の取り組みを展開。これによって和歌山をはじめとした奈良・京都・滋賀・兵庫・大阪の生コン業界が安定してきたのです。
◆歴史から学び取ろう
以上のことから、経営者会が安定していると関西の生コン業界も安定することは、この間の歴史を振り返れば明らかです。また、経営者会と集団交渉をつぶす策動を行っているのはセメントメーカーであり、権力です。これは中小企業を犠牲にする攻撃です。「経営者会に加入しても何のメリットもない」とは、この歴史から学ぼうとしないことと同じです。
中小企業のみなさんも、労働者も、これからも経営者会の必要性を認識することが重要です。「過去の歴史に学び未来をつくる」という観点と行動なくして労働者と中小企業の経済的社会的地位向上は不可能です。
【 くさり10月号より 】