部落解放大阪青年共闘合宿
9月9日・10日、舞鶴の引揚記念館で行われた部落解放青年共闘合宿に関生支部青年女性部から6名(市内2名、北A2名、北B1名、阪南1名)が参加しました。
各地域のメンバーと合流して舞鶴には12時頃に到着しました。そして昼食を済ませてから会場の舞鶴引揚記念館に到着。席に着くと今回のスケジュールを渡され、青年共闘の山村事務局長から挨拶を受け、引揚記念館のスタッフから記念館の説明を受けました。
1945年(昭和20年)第二次世界大戦が終結。旧満州(現、中国東北部)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など、多くの国や地域に約660万人もの日本人が残されました。これらの方々を速やかに日本に帰国させるため、引き揚げが開始されました。呉港をはじめ8港の引き揚げ港が全国に次々に設置され、舞鶴もその役割を担うことになりました。舞鶴港は主に旧満州や朝鮮半島、シベリアからの引き揚げ者、復員兵を迎え入れる港となったそうです。
館内には、さまざまな展示物があり、1945年(昭和20年)~1958年(昭和33年)までに、当時使われていたものや赤紙などの多くが展示されていました。
■職種の違うメンバーで分散型の討論会を開始■
ホテルに移動して分散会が行われました。私の班は、学校の先生や水道局、区役所やNTTなどで働くメンバー5名でした。一時間くらい話をした後、「スギハラ チウネ」という映画を観ました。そして、映画が終わった後近くの居酒屋での懇親会があり、そこでも、分散会のメンバーと話をしました。私とは別の職種の人たちと話ができ勉強になりました。
翌朝9時から会議室で総括を行い、午前中で全てのスケジュールを終え舞鶴を後にしました。また、このような機会があれば積極的に参加したいと思います。
【 くさり10月号より 】