関生ヒューマンスポット?
私は、関生支部に入って41年になります。1976年、会社は、枚方・京都・千里・神戸(2工場)、計5工場があり、出荷数量も5工場で月間7万?出荷していました。
労働組合も、全自運(のちの連帯労組)・産労・全港湾・全化同盟・全国一般が有り、私は製造労働者(試験)で枚方工場に勤務していて、賃金労働条件の向上を目指して4名で公然化しました。その後、千里工場も公然化。当時の関生支部は日の出の勢いで百戦錬磨でした。その影響で分会の要求は実現され、大変満足な日々を過ごしました。
1977年千里工場勤務となり、製造輸送で組合員は20名を越えました。今思えば明るくて楽しい職場でした。しかし、時代も変わり、生コンの需要減にともない会社もその煽りを受け合理化。人員削減と減車で多くの仲間が去っていきました。
しかし、私は関生支部の産業政策や中小企業政策の正しさを実感し、関生型労働運動に確信を持ち今日に至っています。
2009年3月に千里工場が集約により閉鎖。同年11月に会社が民事再生に入りましたが、支部の支援で退職金も満額貰うことができました。
関生支部に加入して本当に良かったです。
【 くさり6月号より 】