◆世界の様々な現状を知るためには過去の歴史を学び、背景と本質を捉えることが重要◆
フランスやイギリスでのテロ、イラク・アフガニスタンでの戦争、シリア内戦、パレスチナとイスラエルの対立、紛争地域から逃げてくる難民の受け入れをめぐる欧米社会での対立。また、アメリカで頻発する銃による殺人事件や人種間対立。さらには、日本で問題になっている韓国・朝鮮や中国出身の人々へのヘイトスピーチや歴史をめぐる日本と近隣諸国との対立など、紛争や対立のニュースは日常的に流れています。
このような紛争や対立は、今日に始まったことではありません。70年前、世界は「冷戦」といわれる時代に突入し、アメリカとソ連、アメリカと中国とが軍事・政治・経済などの面で激しく対立しました。直接の戦争にはなりませんでしたが、それに備えるために、核兵器を含む軍備の拡張が進められ、大国からその同盟国へと武器が供給されました。その中で、アジアやアフリカ、ラテンアメリカなどでは地域紛争が戦争へと発展し、多大な犠牲が払われたのです。アメリカ、ソ連、中国が関わった朝鮮戦争やベトナム戦争は「冷戦」と切り離せないものでした。以前の帝国主義時代では、ヨーロッパの列強やアメリカ、日本などが、アジアやアフリカ、太平洋地域に植民地支配を及ぼし、同時に植民地争奪を目的とした戦争を繰り広げました。今日、世界の様々な地域で貧富の格差が極端に開いていたり、民族間の対立、資源や国境線をめぐる紛争が続いたりする背景にこの時代の遺産があるということを認識することが重要です。
ヨーロッパと中東地域との関係、日本と東アジア地域との関係は、この時代に処理できなかった問題が今日の対立や紛争につながった典型的な例なのです。今おこっている紛争や対立は、過去の時代に見られたものと切り離して考えることはできないのです。
これらの問題を知らないふりとすれば、状況はさらに悪化します。過去の人々が、それぞれの時代の紛争や対立をいかに捉え、解決への努力を重ねたのか、その中からどのような知恵や知識が蓄積されてきたのかを理解し、私たちの時代の問題との向き合い方を考え直すことが求められています。
それには、個々の事象に対する自分の感性を大事にしながら、大きな視野でものごとを捉えることが肝要です。日々、さまざまな紛争や対立が繰り返される中で、テレビ・ネットや新聞で報道される悲惨な事件に心を痛めてしまいがちですが、その場その場で流れる映像に感じて応じることと同時に、ものごとの背景に何があるのかを理解するように努めることが重要です。
地中海で遭難する難民の親子の映像や、爆撃で瓦礫の山となった町を歩く子どもたちの姿などの感情をまとまった理解へとつなげ、自分なりの世界認識の中に位置づけていくことで新しい思考が生まれてくるのです。
◆「視座」について考えることも必要◆
「視座」とは誰の目を通してものを語るのか、どのような立場でものごとを捉えるのかを意識することです。ニュースを受け止めたり、ものごとを判断したりするときに、自分が誰の立場に身を寄せているのか、目線をどこに置いているのかを考えることで気づくことがあります。
メディアでよく使われる言葉や、定例化したニュース報道に疑問を持つことが大事です。9.11同時多発テロ事件の後、アメリカでは「テロとの戦争」という言葉が頻繁に使われ日本のメディアも、この言葉を繰り返しました。なるほど、と思う前にそれでは何故「テロとの戦争」という言葉が使われたのか?を問うことが必要です。この言葉はテロを「悪」、アメリカとその同調国を「善」として単純化し、「善」と「悪」との対立のもと妥協を許さない正義の戦いとしてアメリカの軍事行動を正当化するためのものだったのではないか?と疑うことが大事なのです。アメリカ政府の宣伝にメディアも無批判に同調してしまったのではないか?と背景と本質を捉えることが重要です。アメリカに限らずメディアや政府が広報に使う言い回しは、繰り返されることによって私たちの意識の中に浸透していきます。使い勝手もよく、ついつい鵜呑みにしてしまいがちです。その使い勝手のよさが、様々な問題に気づく機会を奪ってはいないか?立ち止まって考えてみることが大切なのです。
私たち労働組合は、ものごとの本質と背景を捉えるために、恒常的・系統的な学習が必要です。そして、学んだことをそのままにしておかず、家族や知人友人に「伝えていく」という行動が重要です。その学習と行動の実践により、労働組合の必要性を感じた働く仲間が、労働組合に結集することになるのです。
【 記事:武谷書記次長 】