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戦前の「大阪労働学校」のゆかりの地を探索する(9)

著:本山美彦(大阪労働学校・アソシエ 学長)

 ● 熟練工主導から「友愛会」主導へ●

 ◇労働者が怒りを表しストライキを敢行!◇

 労働争議の重要な武器である「同盟罷業」(ストライキ)を発生させる要因は、貧困であると簡単に言われる。しかし、資本主義の創世期に限れば、貧困がありふれる日常世界では、むしろストライキを組織することは難しかった。若者たちは、出身地の農村の貧しさから少しでも抜け出すことを目指して、都会の工場に集まるのが普通の姿だったからである。つまり、工場労働者の賃金水準は、農村の人々に比べて相対的に高かったのである。  

 断定的に言い切れば、人としての尊厳が冒されることへの怒りと反抗の表現がストライキであった。つまり、現代よりも、過去の資本主義の勃興期の方が、ストライキは、「労働の尊厳」を強く意識したものであったと見なせる。資本主義勃興期の日本の労働運動は、「賃金を上げろ」に代表され尽くすような質のものではなかった。  

 たとえば、1907年頃の、大鉱山、軍工廠、大造船所等におけるストライキの指導者たちは、熟練工であった。彼らは、労働を命令する高級事務職や職長に反抗した。   

 鉱山においても同じであった。鉱山では、採鉱夫が熟練工である。彼らも、鉱山の所長や飯場の長に対する反抗運動を組織したのである。  

 それまでの職場慣行を、経営者側が破り、熟練工を単純作業に押し込める無機質な労働に追いやろうとしたこと、会社の命令を聞かねば、罰金、首切りを断行することへの怒りが、熟練工をストライキに駆り立てたのである。  

 会社の創世記には、熟練工たちが生産の具体的な段取りを担っていた。熟練工たちは、仲間意識と連帯感によって、人事を含む作業工程を会社から事実上請け負っていた(親方請負制)。しかし、資本主義が発達した段階になると、このような熟練工主導型の労働運動は廃れる運命にあった。


 ◇近代的な労働運動へ「友愛会」思想運動に◇

 容赦なく進む資本主義の深化に対応できる近代的な労働者意識が形成されるには、欧米留学で、欧米の近代的労働運動を学習した知識人たちの活動を待たねばならなかった。熟練工の主導による労働争議は、クリスチャンたちが組織した「友愛会」の思想運動に、主役の座を渡さざるを得なかった。これが、後発資本主義国の日本の労働運動の特徴であった。  

 「友愛会」とは、1912年8月に、クリスチャンの鈴木文治(1885~1946年)が、同志15名と組織した労働者団体で、結成当時は,共済組合的精神やキリスト教的友愛の精神に立脚していた。「相互信頼」、「相愛扶助」、「公共の理想」、「識見の開発」、「徳性の涵養(かんよう)」、「技術進歩」、「協同の力」、「地位の改善」等々を目標としていた。  「友愛会」は、学・官・政・財界の有力者を顧問・評議員に招いた穏和な団体であった。当時は大逆事件(1910年)で幸徳秋水(1871~1911年)らが処刑された直後で、社会主義は禁圧され、労働組合もほとんど消滅した状況下での会の結成であった。それは、労働者の希望の灯であった。「友愛会」は、1918年には、全国で120支部、会員約3万人に発展した。  大阪の地にも、1917年、「友愛会大阪連合会」が設立され、事務所は、西野田今開(いまびらき、現、福島区野田二丁目)、さらに、江成町(えなりちょう、現、福島区吉野二丁目)に置かれた。  藤永田造船所の争議には、この「友愛会」のメンバーが加わっていた。  

 参考文献→総同盟五十年史刊行委員会編『総同盟五十年史・第一巻』(1964年)。


  【 くさり4月号より 】


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