= 関生ヒューマンスポット 《神戸ブロック》=
私がH生コンクリートに入社したのは1976年7月です。当時は西は明石、東は仁川、北は有馬まで広いエリアの現場に行っていました。
1977年に神戸生コン協同組合が設立され、共同受注・共同販売が始まりました。
私は、「生コン価格の安定や品質向上につながる素晴らしいシステムだな」と思っていました。しかし、その頃の私は、協同組合の設立に労慟組合が深く係わっているとは知りませんでした。
1979年に、神戸市長田区の苅藻島に新設プラントができることに「協同組合が反対している」と聞いていましたが、新設プラントの稼働を阻止したのが労働組合だったことが分かったのは連帯労働組合加入後です。
そして、阪神大震災が発生し、神戸の街が一瞬にしてがれきの街ヘと変わり果てH社のプラントも被害を受けました。その後、プラントを復旧し、製造を再開。神戸の復興のために奮闘しました。
ところが10年は続くと言われていた震災特需もわずか数年で無くなり、そのしわ寄せが従業員にやってきました。合理化による人員削減が始まり、会社から退職を迫られ、多くの従業員が辞めていき、私は他労組に入りました。
しかし、何の進展も無く、逆に会社からの嫌がらせなどもあり、2010年に連帯労組に組織移行しました。その結果、会社の態度は一変。労働条件が向上しました。
その年に139日にわたるストライキを行い、多くの仲間と汗をかきいい経験をしました。
この組織で分会事務所・電話とFAXの設置・65歳までの定年延長など多くの成果を勝ち取ることができました。
私は現在機関紙部の責任者を務めています。今後も連帯労組の一員として頑張っていきます。
≪記事:神戸ブロック・U組合員≫
【 くさり12月号より 】