= 川崎秀徳さんを偲ぶ会 =
11月23日、学働館・関生で「川崎秀徳さんを偲ぶ会」が開催されました。当日は川崎さんのご家族、関生支部組合員をはじめ、業界団体・関連労組(29団体)、川崎さんとゆかりのある方々など180名を超える参加者が集まり、在りし日の故人を偲びました。
■最初は大の組合嫌い
川崎さんは21歳の頃から大阪市東淀川区にある中央コンクリート社に勤務。同社には1991年に関生支部の分会が結成されましたが、当初、川崎さんは「組合員はろくに仕事もしないで給料だけ持っていく。会社は自分が守る」と言って分会と対立。未組織のリーダー的存在でした。それが、関生支部の粘り強いオルグで加入を決意。その後、ブロック長を経て執行委員となり、北大阪Bブロックや三田ブロックを担当し、組織拡大などで大きな成果を挙げました。その後、専業社主導の生コン業界を実現するために経営側へ。2014年10月の定期大会で再び執行委員に復帰し、わずか2年後の本年10月1日に逝去されました。
■仲間に感謝しながら
偲ぶ会冒頭、武実行委員長は「川崎君は『秀ちゃん』の愛称で多くの組合員から慕われ、尊敬されていた。64歳という若さで亡くなったことが本当に残念だ。
亡くなる数日前に見舞いに行った。そのとき彼は『納得のいく人生だった。最期に自分を輝かせてくれた関生の仲間に感謝している』と言った。若くして旅立つので色々な思いがあったと思う。特に世界は激動の時代を迎えており、競争社会から共生・協同社会への転換期にある。その時期にこの世を去るのは大変無念だったに違いない。川崎君は最期に、『北Bブロックの仲間を中心に、強大な組織を建設してほしい』と語っていた。川崎君、あなたの志、実現し得なかった課題は私たちが必ず実現する」と挨拶しました。
■熱い思いを受け継ぐ
この後、参加者全員で献花を捧げ、友人・知人の挨拶に入りました。
そして、連帯労組中央本部の七牟礼書記次長の発声で献杯。歓談に入りました。
歓談中、司会者の指名で次々にゆかりのある組合員・業界関係者が挨拶。誰からも愛された川崎さんらしく、「川崎方式」「川崎節」など数々のエピソードが披露されました。そして、「川崎さんの遺志を引き継ぐ」と涙を浮かべながら口々に決意が語られました。
ご家族へ慰労金が贈呈された後、感謝の言葉をいただき、最後に湯川副執行委員長が挨拶。偲ぶ会は幕を閉じました。
川崎さん、安らかにお眠りください。その熱い思いは私たちが受け継ぎます。
【 くさり12月号より 】