画期的な政治革新と労働運動の高揚
日韓建設運送労働者共同闘争 〜 訪韓団報告 〜

1.情勢
 日韓生コン労働者の共同行動は今年で3年目を迎える。今回のソウル行動を前に、韓国側から1つの提案があった。これまでの組織名称「日韓生コン労働者共同闘争委員会」から「日韓建設運送労働者共同闘争委員会」に変更するというものである。きっかけは、第1に韓国生コン労組が最近、ダンプ労働者の大量組織に成功したこと。第2には、タワークレーン・オペレーターの労働組合が今春のゼネストで勝利したことで、近い将来の組織統合が視野に入っていることがあげられる。「建設現場で、ゼネコンを包囲する建設機械・出入り業者の横断的組織をつくる」という組織方針に基づいた成果である。共同行動は3年目であるが、今回の訪韓団からは共闘組織名「日韓建設運送労働者共同闘争委員会」を使用することになった。
 韓国は04年4月の総選挙で、画期的な政治変革を実現した。保守党の歴史的敗北、中間政党の崩壊、その一方でノ・ムヒョンのウリ党が勝利した。さらに「労働運動の政治勢力化」をめざして民主労総が組織した民主労働党が10議席を獲得して議会に進出した。
 勝利したノ・ムヒョン政権は、軍事政権時代の精算と民主化を掲げる法案を次々と打ち出している。しかしノ・ムヒョン政権は、政治上の民主化は熱心にやるが、経済・社会の民主化、とくに労働者の権利実現に対してはきわめて反動的な態度をとり続けている。
 第1に日韓FTA交渉に対する姿勢である。第2に政府の公務員労働法と非正規職保護立法があげられる。
 こうした政府の態度に抗議して、民主労総の「非正規職労組連帯会議」が、ウリ党の議長室を1週間にわたり占拠・龍城した。ウリ党のイ党首は「政府案には問題がある」と言ったものの、政府・与党は最終的に政府案提出を決定した。
 生コン、ダンプ、タワークレーン、保険外交員などの「特殊雇用職労働者」についても同様で、今回の政府案は特殊雇用職については触れてもおらず、「労働者ではない」とする財界の政策を追認した。政府と資本が「生コン運転手は労働者ではない」という姿勢を引き続きとっているために、韓国生コン労働者の闘いは厳しい条件の下にある。組合結成、争議に対して経営側から「労働者ではないのに行った争議は違法行為→損害賠償請求・仮差押」攻撃が、ノ・ムヒョン政権の下でも続いている。
 しかし組織は着実に成長・発展しており、非正規職労働者の運動では中心的な役割を果たす立場となっている。それは以下にあげる4点によっても明らかである。@生コン労働者の新規組合結成が着実に増えており、組織は200人まで復調した。A04年4月には、タワークレーン・オペレーター労組(1400人)がゼネストを行い、労働協約を勝ち取った。B7〜8月には「土方の歴史的ゼネスト」が敢行され、勝利した(韓国語には日帝支配時代のドカタという言葉が残っている)。史上初めての、しかも不可能と言われた「ドカタのスト」で、集団的労働協約を勝ち取った。C10月25日には、生コン労組の支部として「ダンプ連帯(1500人)」が登場した。
 以上のような情勢の中で、今年の訪韓団が組織され、ソウル行動が闘われた。

2.主な行動内容
@双龍(太平洋セメント)に日韓労働者の共同した力をさらに強く示すため、双龍セメント本社前集会に加えて、鈴木忠社長の自宅を抗議訪問する。
A韓国側の現在の重点闘争である、韓一セメント本社への抗議行動を取り組む。
B生コン労働者の労働者性を認めない韓国政府労働部に抗議する。
C現代韓国労働運動の精神的支柱であるチョンテイル氏の墓前祭に参加する。
D民主労総執行部との意見交換をはかる機会をもうける。
E日韓双方の組合員間の意見交換をはかる機会をつくる。
F民主労総労働音大会前夜祭、大会に参加する。

3.参加メンバー
生コン産労+全日建連帯+通訳1名+ビデオカメラマン   総計30名

4.日程

11月11日
 ソウル空港からバスで移動。ソウル西大門独立公園内の西大門刑務所歴史館を訪問、見学。案内と通訳をしてくれたボランティアのキム・ホンジェさんは、75歳で、日帝支配時代に日本語教育をされておられ、私たちの崩れた日本語よりもよほど折り目正しい日本語を使われる方であった。歴史館の外観は煉瓦造りで、−見日本の網走刑務所を思い出させた。そんな話をしていたら案の定、網走刑務所を設計したチームが設計したとのことであった。日本植民地時代の独立運動家たちを数多く投獄し、拷問を加え、命を奪ってきた刑務所である。独立後も軍事独裁政権に対する民主化運動の活動家を収容するための監獄として使われてきた。館内に展示された多くの写真や実際に使われた拷問道具などが、日本が行ってきた残虐非道な振る舞いの数々を私たちの眼前に再現した。
 夜は、パク・テギュ委員長、オ・ヒテク事務局長をはじめとする韓国側の方々が歓迎会を開いてくださった。韓国伝統の太鼓をプレゼントしてくださった。

 
11月12日
 鈴木忠(衷龍セメント社長・元日本セメント大阪支店長)の自宅前で抗議集会を行った。代表3名に警備1名がついて、鈴木宅を抗議訪問したが、とうとう誰も出てこなかった。
 朝食後、韓国政府労働部に対して、代表団が特殊雇用労働者問題などについての申し入れを行った。労働部は、資本家の代弁としか思われない回答を繰り返すばかりだった。
 労働部申し入れの代表団を除く訪韓団は、韓国側の現在の重点闘争である韓−セメント本社前集会に参加し、シュプレヒコール、闘争歌等を日韓の労働者が−体となって取り組んだ。その結果、72日目にして初めて韓−セメント側が労組代表3名との面会に応じた。今まで頑なに面会を拒んできた会社側が面会に応じたということは、これまでの対応が不当であったと認めたということであり、粘り強く闘ってきた韓国生コン労組の団結の成果であるとともに、日韓共同闘争の成果でもあった。
 午後は双龍セメント本社前での抗議集会に参加。本社門前を機動隊がびっしりとうめた光景は異常であり、まさに資本と権力は−体のものであることを目で、体で確認できる場であった。夕方には、民主労総ソウル本部へ移動。韓日建設運送労働者懇談会がもたれた。

 
11月13日
 マソク・モラン公園でのチョン・テイル氏追悼式に参加した。34周忌となる今年の式典には、初めて韓国労総が参列していた。政府の経済・労働政策は2大労総を急速に接近させ、9月22日、ノ政権の非正規職保護立法粉砕に対する共同闘争宣言に至っている。追悼式では、チョン・テイル氏の母上が「これからは民主労総も韓国労総も一緒に闘っていくように」と、まるで息子や娘たちに言い聞かせるように訴えられ、参列者の胸をうった。最後に、チョン・テイル追悼碑に1人1人献花した。また、全国建設運送労組の創立メンバーの1人であり、暴力団に命を奪われたアン・ドングン氏の墓にも参った。オ・ヒテク事務局長から同氏の略歴などを聞き、一行は黙祷を捧げた。2人の遺志をつぎ、労働者の社会を実現するために闘っていくことを誰もが確認した追悼式であった。
 民主労総労働者大会前夜祭は大学で開催された。何といっても、その熱気とスケールの大きさ、音楽・踊り・映像を駆使して参加者を鼓舞し飽きさせない演出に舌を巻いた。仲間がこんなにもたくさんいて、この場所に結集しているという喜びというのが、沸き上がってきて、時間がたつにつれ熱気に巻き込まれていた。前夜祭には、日韓FTA抗議行動で不当逮捕され拘留されていた西山執行委員が、出てくるなり韓国に駆けつけてくれて、韓国の仲間たちも一緒になって喜びを分け合った。最後は会場の夜空高く火柱が立ち上り、参加者は火の周りを踊り、走り、終了しても熱気さめやらぬ仲間たちの輪が屋台のあちこちに見られた。

 
11月14日
 韓日建設運送労働者決起集会・建設産業連盟決起集会は、午後1時からソウル駅前広場で行われ、生コン・ダンプ・クレーンオペレーターなどの労働者が参加した。日本代表団からは武洋一団長の決意表明と連帯のアピールが行われ、労働者大会会場である光化門に向かってデモ行進が出発した。とにかく多数の機動隊が動員されており、韓国の労働運動が、本当に敵にとって脅威であることを示していた。実際、会場に近づくにつれ多くの仲間が会場へと向かっており、それが1つになって熱気が立ちのぼるような感じである。会場に着いてみれば、最後尾など全く見えないほど労働者の波で埋め尽くされる中で労働者大会が始まった。
 今大会は、@下半期ゼネストを前に、闘争の気勢を高め、現場組織力を強化する。A民主労総の主要闘争課題を広く宣布し、以後進められる大衆闘争の礎石とする。Bノ・ムヒョン政権の反労働者政策を暴露し、労働者・民衆の生活を破壊する各種法制度改正と世界化開放政策に立ち向かう闘争戦線を構築する。C韓日FTA・韓米BITと米開放阻止、国家保安法廃止、イラク派兵延長同意案阻止など全民衆的課題を中心に、全体民衆連帯戦線を強化する。の目標をもって開催された。公務員労働者はすでに、11月16日からのゼネストを決定しており、民主労総は11月26日から「非正規労働法改悪阻止、権利保障立法獲得」「韓日FTA交渉阻止」「イラク派兵延長同意案阻止」「国家保安法廃止」等を獲得するまでゼネストを決行することを、この大会で決定した。大会には、民主労働党党首、韓国労総代表、農民党?代表も参加しており、幅広い、全民衆的な戦線が構築されつつあることを感じさせた。大会終了後のデモはなく、三々五々解散となったが、広い道路を埋め尽くす労働者の波は、計り知れないパワーを感じさせた。もちろん、もっともっとたくさんの職場、業種、あるいは敵の中にも組織と組織の影響力をつくっていかなければならないとは思うが、このような大集会、大ストライキが全国の主要な都市で何カ所も、計画的突発的にやられ生産を止め、社会を麻痺させるほどの力を持つ時に本当の意味で労働者が主人公である世界の実現が現実味を帯びてくるのかと思わせるインパクトがあった。

 
11月15日(最終日)
 早朝にホテルを出て帰国。旅行社のガイドさんの案内で免税店で買い物をし、東京組と関西組に分かれて韓国をあとにした。このガイドさんの言葉が印象に残っている。「今まで私が案内した日本の方々はたくさんいるが、西大門刑務所歴史館を見学に行くような人たちは初めてであった。尊敬します」という内容だった。私たちの行動が、今回の私たちの訪韓にかかわったまったく普通の韓国の人に、何かを訴えかけたということと、それを感じてもらえたということが、単純に嬉しい。